障碍者雇用やダストレスチョークで有名な日本理化学工業。日本企業で進展しない障害者雇用を半世紀以上も前から行なってきた同社の取り組みについて、同社の会長である著者が述べる言葉は重たく、含蓄に富んでいる。
「これからは逆境を甘んじて受け入れ、その境遇を最大限に活かす人生でいこう」(41頁)
著者が大事にしている考え方である。東大を目指して諦めざるを得なかったとき、という多くの人にありがちなレベルの挫折経験とも言えよう。しかし、そうした経験において人生における深い気づきに至れる著者の本気というものを感じさせる。
「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは、次の4つです。その1つは、人に愛されること。2つは、人にほめられること。3つは、人の役に立つこと。そして最後に、人から必要とされること。障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証しなのです」(56頁)
障碍者雇用をはじめたすぐ後に、知人の葬儀で偶然会った住職から言われたこの言葉が、著者にはずっと記憶に残っていると言う。至極当たり前であるからこそ日常的には意識しづらいが、人の役に立ち、人から必要とされる、ということは働くことを通じて得られるものだ。
「働」という文字は、「人」と「動」が組み合わさってできています。私はこれを、「人のために動く」から「働」になったのだと解釈しています。(59頁)
障碍者の方々が、同僚のために純粋な気持ちで働こうとする様を見て、こうした考えに至ったと言う。働くという行為は、ともすると市場価値やビジネスインパクトといった定量化できる卑近なものに捉えられがちだが、本来はもっと純粋なものなのかもしれない。
「福祉」の世界で、ここまで必死に考えることができるでしょうか?私には難しいように思えます。知恵を絞らなければ、組織が潰れるという危機感は企業ほどにはないはずだからです。利益を出すことが絶対条件である企業だからこそ、知的障害者も働くことができるように工夫することができるのです。(94~96頁)
著者はなにも福祉の世界において障碍者の方々が働くことを否定しているわけではない。そうではなく、企業という現場において、障碍者の方々に働いてもらうことの意義をここで述べたいのであろう。それはなにも、障碍者の方々にとってメリットがあるわけではなく、健常者の人々にもメリットがあるとして、以下のように述べる。
健常者は、知的障害者と向き合いながら仕事を続けることで、だんだんとこうしたことを体得していきます。仕事がうまくいかないときや、障害者が言うことを聞いてくれないときには、自分の態度や指示の仕方を見直すようになります。そして、相手の立場にたって、相手に伝わるようなコミュニケーションをする力をつけていきます。「人のせいにできない」からこそ、自分を磨くようになるのです。(147頁)
知的障碍者の同僚と働くためには、自分自身の発信能力が問われることとなる。そのため、知的障碍者の方々が努力して理解しようとするのと同時に、健常者の人々もまた理解してもらえるように努力するのである。いわば健全に相手を思いやり合う必要性が生じるしくみを、障碍者雇用によって成り立たせているのである。
働くという行為は、本来、尊いものなのではないか。
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