真実の道を体得した古人は、逆境におちこんだ場合も楽しんでおり、順調に成功した場合も楽しんでいた。楽しみとするところは、逆境とか順調とかいう世俗の関心をこえていたのである。真実の道が体得できたなら、逆境か順調かということは、寒暑風雨が移り変わるていどのことになってしまうのだ。(譲王篇 第二十八・十二)
真実の道というと難しく思われるが、つまりは、一喜一憂せずに、心を落ちつかせることであろう。心を落ちつかせ、自ずから然りの心境に至ることができれば、周囲の状況によって惑わされることがなく、何事も楽しむことができるようになるのであろう。
現象をささえる根本こそが精妙だと考えて、現象世界の存在を粗雑だとみなし、物はいくら積みあげても満足できないとして[それを追求することはやめ]、安らかに落ちついて、ひとりあの霊妙にして聡明な真理のはたらきに身をよせてゆく。昔の道術のなかには、そうした立場のものがあった。(天下篇 第三十三・五)
意味内容はよくわからない。しかし、なぜか、心に響くものがある箇所である。
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