2014年11月4日火曜日

【第369回】『氷川清話』(勝海舟、江藤淳・松浦玲編、講談社、2000年)

 およそ人間が何事にか激した時には、死ぬるのはわけもない事だらう。しかしよくよく事局の前後を達観して、十分に前後の策を立て、しかる後、従容として死に就くのは、決して容易の事ではあるまい。(141頁)

 日清戦争後の戦後処理を行った後に自殺した丁汝昌について著者が語った部分である。日本においては、徒に自死を美化する傾向が強かったし、それは今でも多分に残っているように思える。しかし著者は、それを断じて否定することに刮目するべきであろう。放言とも取れるような歯切れの良い著者の言葉を見て行こう。

 時勢は、人を造るものだ。今日いろいろの学問や、知恵のある人だちが、これから種々の困難に出会つて、実際にその学問を試したり、その心胆を練つたりなどすると、将来に起るべき、東洋の大禍乱をも、切り開くだけの人物になれるだらうヨ。(163頁)

 人物を生み出すのは時代である。変化が激しければ激しいほど、そうした時代を切り拓く傑物は生まれるのであろうし、それは一部の偉人だけではない。市井を生きる普通の人物もまた、そうした時代においては人間性を磨くチャンスがあるのではないか。

 西郷に及ぶことの出来ないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たつた一人で、江戸城に乗込む。おれだつて事に処して、多少の権謀を用ゐないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをして相欺くに忍びざらしめた。(70頁)

 時代を切り拓く大人物の一人が西郷隆盛であることに異論はないだろう。著者は、幕末における人物の中でも、西郷をその第一の人物であると賛辞を送っている。その人物の大きさの一端を、大胆識と大誠意という言葉で表している。

 速ならんと欲せば大事成らず、切々事に迫るは処世の大禁物だ。虚心坦懐、徐ろに人事を尽して天命を俟つのみ。(296~297頁)

 このように一般化したものだけを引用すると迫力に欠けてしまうかもしれない。しかし、この言葉を述べた文脈は、江戸城開場の日に、そのプロセスを官軍と幕府軍の代表とで行っている時に、西郷が居眠りをしていたシーンである。大事を為した後の粛々としたプロセスは、果報は寝て待ての精神で焦らずに行う。たしかに、西郷の人物の大きさが伝わってくる箇所である。生死を賭けた場面であり、時代の帰趨を左右する場面において、うたた寝をできるのであるから、日常の厳しい場面においてゆとりを持って事に当たることくらい容易なはずだ。

 心は明鏡止水のごとし、といふ事は、若い時に習つた剣術の極意だが、外交にもこの極意を応用して、少しも誤らなかつた。かういふ風に応接して、かういふ風に切り抜けうなど、あらかじめ見込を立てておくのが、世間の風だけれども、これが一番わるいヨ。おれなどは、何にも考へたり目論見たりすることはせぬ。ただただいつさいの思慮を捨ててしまつて、妄想や雑念が、霊智を曇らすことのないやうにしておくばかりだ。すなはちいはゆる明鏡止水のやうに、心を磨ぎ澄ましておくばかりだ。かうしておくと、機に臨み、変に応じて事に処する方策の浮び出ること、あたかも影の形に従ひ、響の声に応ずるがごとくなるものだ。(197頁)

 外交の秘訣と題して著者が述べている箇所である。先述した西郷の居眠りにも通じるものがあるように私には感じられる。つまり、心を徒に動かさないということである。心を動かしてしまうからこそ、機を見極めることが難しくなったり、焦って機を掴み取ることができなくなってしまうのではないか。

 世間では、よく人材養成などといつて居るが、神武天皇以来、果して誰が英雄を拵へ上げたか。誰が豪傑を作り出したか。人材といふものが、さう勝手に製造せられるものなら造作はないが、世の中の事は、さうはいかない。人物になると、ならないのとは、畢竟自己の修養いかんにあるのだ。(331頁)

 職業柄、人材の育成についての言葉というものがどうしても気になる。著者によれば、他人によって育成されるのではなく、自分で自分を育成するということであり、その通りであろう。自分を動機づけられるのは、結局のところ自分なのだ。


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