戦前における陸軍将校の暴走、それを追随する陸軍中枢と、陸軍の協力が必要なために否定できない内閣による後追い対応。その結果として日中戦争から太平洋戦争へと泥沼の戦争へと日本人は進んでいった。本書を読む前、何が日本人をあの戦争へと誘ったのかの理由を、私はこうしたステレオタイプな内容で理解していた。
しかし、極端な政治思想による人物が、合理的でない思考によって当時の日本の世論を形成したのではなかった。本書を読んで、空恐ろしい感覚をおぼえた。なぜなら、当時の日本陸軍を満州事変へと誘導した一夕会の中心人物である永田鉄山や石原莞爾の思想には、通常の理解能力を持つ人間を納得させる論理を持っているように私には思えたからである。戦争へ導く考え方は、極端な思想の持ち主によって提示されるのではないのではないか。むしろ、良識的に思える人による、合理思考が合わさったものが、私たちを破滅的な事象に追いやることがあり、あの戦争の背景にもそうしたものがあったのだろう。私たちが歴史から学ぶべきことは、単純化した分かりやすい構図による結果としての歴史ではなく、謙虚にプロセスから学び取ろうとする姿勢ではないだろうか。
本シリーズの第一巻では、満州事変へ至る過程について述べられている。
一般に、統帥権の独立が、昭和期陸軍の暴走の原因となったとされている。だが、彼らは統帥権の独立ではむしろ消極的だとし、陸軍が組織として国政に積極的に介入していく必要があると考えていたのである。(73~74頁)
まず、統帥権の独立を陸軍が強く主張して戦争へと至ったとする一般的な説を著者は否定する。むしろ、当時の陸軍は、組織として国政に入り込むことを戦略的に推し進めていたのではないか、としているのである。そのために、まずは陸軍の組織内において、一夕会は自派の勢力を浸透させようとした。
陸軍中央の主要実務ポストを一夕会会員がほぼ掌握することとなった。一夕会が岡村補任課長就任を契機に急速に人事配置を推し進めていることが分かる。彼等の任期は通常一~二年で、それほど遠くない時期での武力行使が想定されていたといえよう。
また、一九二八年(昭和三年)一〇月に、石原莞爾が関東軍作戦参謀に、翌年五月には、板垣征四郎が関東軍最高級参謀となっている。これは岡村の補任課長就任以前だが、その頃には一夕会会員となる加藤守雄が補任課員で、その働きかけもあったものとみられている。(85~86頁)
一夕会は、中央のポストとともに満州における実務ポストをも掌握することに成功する。しかし、人事異動における組織の論理が示す通り、一つの状態が恒常的に続くわけにはいかない。したがって、一夕会が主要ポストを占めたタイミングは、大きなチャンスであるとともにそれを逃すと次のチャンスまで時を待つ必要があることを意味する。こうした微妙なバランスのもと、満州事変へと駆り立てられるように進むこととなる。
永田・石原らによって、満州事変が推し進められ、それを契機に、陸軍での権力転換が実現し、さらに政党政治が崩壊することとなった。そして、満州事変は、その後の軍部(陸軍)支配、日中戦争、そして太平洋戦争への起点となる。(359頁)
国家総動員論により持久戦争が求められるとした永田と、アメリカとの世界最終戦論をかざして資源供給地としての中国を活用した戦争によって国家総動員による消耗戦を避けようとした石原。一夕会の中心人物である両名の戦争に対する考え方は異なっていたが、満州事変という途中段階においては同じ思いであったようだ。満州事変後の陸軍内の政治抗争により永田は暗殺され、その後に石原もまた失脚することとなる。しかし、永田の思想は統制派に、石原の思想も田中新一へとそれぞれ受け継がれ、日中戦争から太平洋戦争へと歴史は動いていく。
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