2018年11月24日土曜日

【第906回】『武田信玄 風の巻』(新田次郎、文藝春秋、2005年)


 織田信長や徳川家康を扱う歴史物を読むと、ほぼ必ず登場するのが武田信玄である。恥ずかしながら、信玄を主人公として扱う作品は、小学生時代に漫画でしか読んだことがなく、私の中ではバイプレイヤー的な存在となってしまっていた。

 信玄といえば騎馬隊をはじめとした勇猛果敢な戦闘集団を率いた戦国大名というイメージが先行する。しかし、甲州法度を制定して政治を整備しようとしたり、信玄堤に代表される環境対策や黒川金山開発といった経済政策など国家経営という観点でも興味深い。そこで信玄その人および彼の行動を理解しようと、本シリーズを読むことにした。

 家康や信長を苦しめた天才というイメージがあったが、読み進めていくと、若くして才能に溢れた存在でありながら失敗も多くしていることがわかる。一人の人間としての成長物語としても読めそうだ。

 たとえば、有名な父・信虎を実質的に国外追放した後の描写はこのような感じである。

 晴信は父信虎の姿が見えなくなるまで、高地に立って見送っていた。戦国に生れた者の悲哀がしみじみと身にしみた。父を追わねば、自分が殺されるから、そうするしかなかったのだ。だからといって実父を追放したという罪の意識は容易に消えるものではなかった。(100~101頁)

 四書五経を書見するシーンが描かれることから、親を敬うという孔子の思想を重視していたことが想起される。父に嫌われ、父の悪政を正すための追放とはいえ、悩み、苦しみながら決断する若きリーダーの人間性が現れている。

 晴信はやがて北信で対決しなければならない仮想敵、長尾景虎との一戦を頭に描いていた。たとえば、合戦の場を、犀川と千曲川の合流点の川中島あたりとするならば、古府中川中島の距離は、長尾景虎のいる越後春日山城と川中島間の距離の二倍に当っている。その距離の差を短縮するには軍の移動速度を速くするしか勝つ道はなかったのである。(536頁)

 武田信玄が旗印に掲げていたと言われる風・林・火・山から成る四部作の第一巻は、長尾景虎の登場をもって終わる。この後の巻で展開されるであろう川中島の戦いへの期待を持たせる演出と言えそうだ。

【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)

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