2017年9月16日土曜日

【第751回】『官僚たちの夏』(城山三郎、新潮社、1980年)

 人事ってすごいなぁと改めて他人事のように思った。私企業における人事と、国家一種のキャリア官僚にとっての人事とはたしかに違うだろう。企業では、あまりに意に沿わない人事であれば、社員側としては転職してしまえば良い。そのために必要な経験を自身でデザインし、キャリアを構築していけば良いのであって、最終的にキャリアの主体は自分自身に帰結することがわかりやすい。

 他方、国家公務員であればそれが通用しない部分が多い。公務員にとっての同じ職種は、基本的には世の中には存在せず、せいぜい他の国に移れば同じような組織があろうが、公務員を他国で担うということは現実的ではないだろう。したがって、組織側が行う人事に従うか、自分自身のキャリアを大幅に振る必要が出てくるのであり、人事施策の重みが異なると考えられる。

 風越は、何でも口に出してしまう。秘密主義のベールをかぶりやすい人事についても同様で、思っていることを、すべてさらけ出す。進んで、まわりの反応や意見を待つという行き方で会った。それによって、新しい評価は情報が得られれば、それは、より公平な人事に役立つばかりでなく、人事通としての風越の情報蓄積量をふやすことになる。(14頁)

 人事屋としては、人事情報について「思っていることを、すべてさらけ出す」という部分にはギョッとしてしまう。但し、ある程度を共有して良い相手を選べば、後段にあるように必要なフィードバックを得られる貴重な機会にもできるのではないか。人事部門はスタッフ部門に過ぎず、現業部門での評価を鵜呑みにするか人事評価のみである人物のパフォーマンスを評価してしまう。しかしそれはある側面にすぎない可能性があり、それを基にして上長や二次評価者にぶつけてみる、というのは現実的かつ有効な手段に思える。

<他人の人事には、人一倍、興味を持つ。だが、それだけに、自分の人事については、一切、工作しないことーー>
 自分のことについては、えいッとばかり、投げ出してしまう。天命を待つというより、ひとつの素材として、人事の嵐へ投げこむ。<おれのような雑な男が、ありのままの生地で、どこまで行けるのか>他人事のように眺めてみたい気がする。(22頁)

 面白いほどに共感できる箇所であり、自分の心情を言い当てられたような気がして怖いくらいである。人や組織に対する興味関心を持ちながら、自分自身の人事にはこだわりがない。私の場合には、一企業の中というよりも他の企業や同一職種の中で市場からどう評価されるのか、というところに興味がある。さらに言えば、高く評価されるかどうかというよりも、自分自身をひとつの被験者としてどのように扱われるのかに興味がある。だから、人物としておよそ似ても似つかない風越の有り様に共感を持てる。

「まあ待て。どうしてくされ縁ができるかといえば、人間がくさり出すからだ。じゃ、なぜ、人間がくさり出すのか。そのいちばん大きな原因は、人事だ。人事がうまく行かんと、確実に人間がくさる」(39頁)


 風越が人事にかける想いを吐露している箇所であり溜飲が下がる想いもするが、同時に耳が痛い箇所でもある。但し、彼が手塩をかけてチャレンジをさせたサクセッサーたちが健康を害してしまった最後の部分が、私たちに重く問いかけるものがある。


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