2015年5月31日日曜日

【第449回】『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太、文藝春秋、2010年)

 イチローをはじめとしたプロフェッショナルなアスリートの言葉に魅了された時期がある。二十代の中盤の頃だ。当時購入したそうした書籍は、いま読むと深みを感じられず、何に魅了されていたのかすら分からないものが多い。しかし、イチローのインタビューや発言をまとめたものは違う、と改めて感じた。いつ読んでも考えさせられる言葉というものは、たしかに存在するのであろう。著者が、イチローに対して「自分がカッコいいと思うところがあるとしたら」と尋ねた際の回答に、その発する言葉に対する真摯さが現れている。

 「世の中に流されないところと、逃げないところかな。どんな結果に対しても、僕はそれを受け入れる。失敗した時の自分の立場が怖いからといって、変な理由づけはしません。だから僕の発している言葉にウソはないはずです」(9頁)

 ここまで言い切れるところに凄みを感じる。さらに、日本でのシーズン最多安打記録を樹立してその名を世間に知らしめた1994年当時を振り返って以下のように語っている。

 ’94年に210本のヒットを打って、もてはやされて……その時の自分というのは気分よくさせられて、少し浮ついていたと思うんですよね。(中略)その頃、自分で『いったい何が大事なんだろう』って考えたんです。人の期待に応えることなのか、自分の持っているものを出すことなのか。それを天秤にかけると、自分が力を出すことの方が絶対に大事だと思いました。そこからですね、ゲームに入っていくためにいろいろな準備をしなくてはいけないと思うようになったのは。準備をしておけば、試合が終わった時にも後悔がないじゃないですか。(中略)要するに“準備”というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、そのために考え得るすべてのことをこなしていく、ということですね。(78~79頁)

 準備という言葉に関する珠玉の定義に刮目すべきだろう。企業での研修でも私はよく拝借させてもらうフレーズである。

 「これまで周りからいろんな期待をされてきて、そのたびにその期待に応えようとした自分がいましたよね。もちろん、できたり、できなかったりしたんですけど、そういう中でイチローという選手に対する見方は、僕が一番厳しかったということ。それが、自分に対する自信を生んできたんだと思います」(159頁)

 257本という当時のメジャーリーグにおけるシーズン最多安打記録を破った2004年。記録を破れるか否かの瀬戸際に立たされた、シーズン最終盤の苦闘を振り返った言葉である。他者から否定されたりもてはやされたりしても、自分に対する見方がぶれず、真摯に、かつ厳しく見つめること。しかし、ただ厳しいだけではなく、その結果として自信を生み出すことができると信じているところが、イチローの強みではないだろうか。


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