淡々と進行しながらも、一つひとつの事実が積み重なることで、最終的には一つのストーリーとして成り立つ。むろん、読み進めるのも心地よく、一気に読める。いろいろと考えさせられる小説も好きであるが、本作のようなゆるやかな小説もまたいいものだ。とりわけ、日常が忙しく過ぎる時には、こうした小説を読む時間は、リラックスできる掛け替えのない時間になる。
根本は同じ馬優先主義であるのに、なぜか異なる答えを見つけ出してしまう。自分の意見こそ馬優先の論理だと思っているから、相手の言葉には耳を貸さずに衝突してしまう。宿命的といった論争を続けるふたりを見て、八弥は心底そう思った。(114頁)
理想を持つことは好ましいことだとよく言われるし、他者や相手のことを思って行動することは望ましいことだとも言われる。しかし、そうした理想主義や利他主義であっても、主義が強すぎると、それが衝突してしまい、相容れないものとなってしまう。特定の野球チームのファン同士が、必ずしも仲良く応援できないことを考えれば、物事の本質を衝いた興味深い指摘であると言える。
自分が陥穽にはめたのだ。憤怒の対象となるのは当然だと思った。憎悪みなぎる形相で睨まれ、強襲されるのも当然だと思った。信用を失い、憎まれ、自分は自分の手で、オウショウサンデーを過去のパートナーにしてしまった。そればかりか、敵にしてしまった。すべて自分のせいだと八弥は思った。
それも含めて、受け入れるしかないのだ。過去とは決別するしかない。
自分には、今のパートナーがいる。(313頁)
ネタバレにならないよう仔細には書かないが、ジョッキーとしてもプライベートとしても、過去の自分の有り様から変わった今の状況を受け入れる様が描かれている。私たちは変わりたいと思いがちだが、いつの間にか、自分という有り様は変わっているのであろうし、少なくとも内部に変わっている部分は内包されているものだ。したがって、変わっている自分の有り様に気づくこと。
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