「ビジョナリー・カンパニー」シリーズを著した著者たちが、論じる対象を組織から人へと変えた本作。
著者が学んだのは、並はずれた人たちやチームそして組織というのは、たいていの場合、ごく普通の人たちが自分自身にとって大切だと思っていることが、結果的に並はずれているにすぎない、という事実だった。(12頁)
勇気づけられる言葉であると共に、厳しい言葉でもある。誰もが並はずれた成果を出せるという意味では私たちをなにかに熱中させ、動機づけるものである。他方で、成果を出していくために絶え間ない、努力を注ぎ続けるという文脈では、厳しい言葉とも言えるのではないか。
辺縁思考には、自分の内側で出番を待っている化学反応を触媒となって引き起こすだけの潜在的な力がある。つまり、われわれが共有している世界を、善の方向へと動かせる一連の情熱があるということだ。自分自身のそうした部分を称えよう。毎週少しだけ時間をやりくりし、仕事中、あるいは仕事のあと、なんらかの方法で持っている他の情熱を試してみることだ。(91頁)
私たちはともすると、「本当にやりたい唯一のこと」を探そうとする。いま自分が行っていること以外のものはよく見えるものであり、そうした視点で現在の自分自身を眺めると物足りない思いがするものだ。しかし著者は、辺縁思考をもとにしながら、私たちには複数の情熱の源泉が存在するとする。さらに、そうした複数の情熱の元を自分自身で呼び覚ます行動を意識して持つことが、情熱と情熱の相乗効果を与える。
多くの人たちは自己啓示を待っている。つまり、閃光に打たれる、あるいはロックコンサートの大音響から明解な答えを聞く瞬間を待っている。ことがこのように運ぶことはめったにない。現実には、何とも言えない日々、試行錯誤と苦難の日々が何年も続くのが普通だ。努力しても望ましい結果が得られない、しかし本物に少しずつ近づいている、しだいに熱が入ってくるのを感じる、そんな日々が続くのだ。これは表現しがたい点と点をつなぐような現象なのだ。(156頁)
外的な変化であれ内的な変容であれ、劇的ななにかが起こるわけではない。手応えを必ずしも得られない一つひとつのステップが、少しずつ私たちの内部の変容を導くのである。そうしたプロセスにおいて、私たちの多様な情熱の源泉がお互いに影響を与え合うのである。
自分にとってきわめて大切なテーマについての奥深い知識を結集させるとき、そこにカリスマ性が生まれる。自分の情熱を周りの人たちに伝えようという勇気がわきあがり、そして伝えることによって、周りの人たちはついてくる。(176頁)
ここに私たちはリーダーシップの源泉を見出すことができる。情熱と情熱とが結びつき、予期し得ない化学反応が起きるとき、私たちはそれを他者に伝え、他者と共に協働しながら何かを為したくなる。これがリーダーシップの発露であると共に、フォロワーシップの誕生なのではないか。
ビジョナリーな人たちは、逆境こそ仕事の実力を向上させるチャンスを与えてくれるものだと信じている。つまりそれは凡庸から非凡へと向かう道筋だ。そしてそれが、自分にとって本当に関心のあることが何かを確かめるチャンスにもなるのだ。(194頁)
逆境こそがチャンスである。よく言われることでもあるが、それは苦しいものであることに違いはない。しかし、逆境の中においても、自分がやりたいと心から思えることや、自然とチャレンジしようと思えることが見つかるという意味でチャンスなのであろう。
『「働く居場所」の作り方』(花田光世、日本経済新聞出版社、2013年)
0 件のコメント:
コメントを投稿