2015年5月2日土曜日

【第437回】『ゆるすということ』(G・G・ジャンポルスキー、大内博訳、サンマーク出版、2000年)

 その本を読んだという事実が、自分自身のその後の行動を律することができる、ということが時にある。むろん、全てを制御して行動することは難しいが、その規律をもとにズレた行動を後から振り返ることができる書籍である。本書は、そうした書籍の一冊ではないだろうか。

 裁きの思いとは、自分自身に対する裁きであることがわかりました。空き缶を捨てた人をゆるすプロセスによって、私自身、過去の行動について引きずっていた感情から解放されたのです。
 その瞬間、ゆるしが癒しになるのだと、私はつくづく実感しました。ゆるすことで過去から解放され、いまこの瞬間を百パーセント生きる喜びを味わえるのです。(20頁)

 本書のエッセンスはここで引用した箇所に凝縮されていると言えよう。ゆるすという行為は、過去の他者を対象とした行為のように一見して思えるが、そうではなく、現在以降の自分自身のための行為である。反対に、過去における他者の行動をゆるさないと、現在以降の自分自身にとって不具合が生じる。たとえば、他者の行動を断罪しようとする気持ちを持つことによって、自分自身の今の自分に集中できなくなるということは、私たちの多くが日常的に経験していることだろう。自分自身のためにゆるすというと功利的な要素が強くなってしまうが、自他ともに健全な状態になるという観点で、ゆるすということを心がけたいものだ。

 そうは頭で分かっていても、他者の行動や自分自身の現状をゆるすということは、なかなかできるものではないと思うかもしれない。また、ある部分まではゆるせても全てをゆるすことはできない、と考えることもあるだろう。しかし、著者は、全てをゆるさなければ、ゆるしにはならないと断言する。その上で、何か行動を変えるということではなく、まずはマインドセットが肝要であるとして、以下の言葉を述べている。

 「ゆるそう」という心が、ゆるしへの鍵。(54頁)

 折に触れて思い出したい言葉である。

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