論旨が明快で頭にすんなり入ってくる読書は心地よい。しかし、心が文章に共鳴して、思わず自身を省みながら空想に耽り、遅々として頁が進まずに行きつ戻りつするのも読書の醍醐味ではないだろうか。本書は、少なくとも私にとっては後者の経験を味読するものであった。
著者は慶應義塾大学のSFCや丸の内シティキャンパスで教鞭を取り、また全国の学校や教育組織で文章教育のインストラクターとして活躍する人物である。私自身、社会人になりたての頃に諸先輩方から異口同音に著者の「ほぼ日」の連載を勧められて読み始めて以来のファンである。
本書は、大学の授業で少なくない学生が「働きたくない」と言うことに著者が衝撃を受け、そうした想いの背景、つまり「働く」ことについて丹念に探っているエッセー集である。
まず著者は「組織で働く」ということは、組織を媒介として人と社会がつながることに意義があるとしている。このように考えれば、就職活動とは、学生が社会とつながるためにどういった会社でどういったことを行ないたいのかという「設計書」を創る意味合いを見出せるだろう。
ここで私が考えたのは、就職活動とは学生にとって最適な仕事を選ぶという作業ではないのではないか、ということである。最適な仕事を選ぶという発想では、間違いたくない、失敗したくない、という「正解探し」になりかねない。しかし、長期的に安定した「最適な仕事」などキャリアにおいて存在しない。業界の定義が変わるスピードが速く、それに伴い仕事じたいの定義も変わるスピードが速く、必要とされる知識やスキルの陳腐化が速い中、「最適な仕事」は常に変わるものである。
さらに付言すれば、「最適な仕事」は全員にとって共通のものではなく、一人ひとりにとってのものでしかない。したがって就職活動とは、あくまでその時点で描く自身の理想像をもとにして社会とのつながりを見出すために自身と会社とのつながりを見出す作業なのではないか。
しかし、つながりを組織の中で見出す際には、自身の思い通りにいかないことがほとんどであるのに、個人が誤解を起こすことが多いことを著者は指摘する。つまり、自分の個人的な想いをストレートに仕事に活かせるという幻想である。個人の想いは設計書なのであるから、組み立てるためには周囲との調整を図る必要性があるのに、それを忘れてしまい独善的な行動を取ってしまうのである。
そこで著者が勧めるのが「仕事とは束縛されることと認めること」である。こうすることではじめて自分を活かし、他者との関係性を活かし、結果的に相手をも活かす、という正の循環が生まれるとしている。こうした積極的な自己拘束によって自分で決めることに対して、自分で決めたくないがために代わりに決めてくれる保護者を探そうとする姿勢がある。前者を自責と呼び、後者を他責と呼ぶ。
ではどうすれば自責に至れるのか。著者は、自覚的に一瞬で自らの大事なものを喪失する経験(挫折と呼ばれるものに近い)がそれに寄与すると指摘する。そうした経験を通じて人は自分について徹底的に考え、その結果として自分に向き合い、すべてのものを自分の責任として受け容れる、ということだろう。
しかし、全ての人にそうした挫折的な経験があるわけではない。そうした場合には具体的な他者に対する貢献を意識することが自責へ至るヒントとなると著者は指摘している。私自身が最初のキャリアを営業職としてスタートしたからかもしれないが、この指摘はしっくりとくる。お客さまのためにベストを尽くしたとしても必ずしもうまくいくとは限らない。力量が足りないから、という理由もあるだろうが、そうとは言い切れない外的な要因に因ることも多い。しかし、そうした状況も受け容れ、最終的には個人がたのしむのがよいのではないか。著者の言葉を借りれば、「楽しく生きる」ではなく「生きることを楽しむ」という姿勢である。これが自責というありようにつながるのである。
では、組織の中で働くことが大事であり、たとえば家で働くことは「働く」に該当しないのか、というとそういうわけではない。著者の母親は専業主婦であるが(ついでに記せば私の母も専業主婦である)、自責的に働いている。こうした専業主婦の方々をプロフェッショナルと感じるのは、休んでいるときと働いているときのモードの違いを感じるときではないか。たとえば、こたつで休んでいる状態は休みのモードであるが、料理や片づけをするために台所でてきぱきと家事を行なう母の姿勢には得も言われぬプロの威厳を感じる。
つまり、モードを複数持ち、それを相手や状況に応じて調節するということが、他者への貢献につながり、自責へと繋がるのではないか。ヴェーバーやデュルケームとともに社会学の誕生に貢献したジンメルによれば、多様な他者との多様な関係性を踏まえた上で、<いま・ここ>の役割の意味を自分で深く了解することが大事であるそうだ。会社であれ、非営利組織であれ、公的機関であれ、家であれ、目の前の他者への貢献を意識することが自責の萌芽となるのだろう。
最後に、本書を読むことを強く勧めたいのは以下の方々である。第一に就職活動生および内定者や新入社員である。とりわけ、会社に入る前に不安をおぼえる方や、本書のタイトルにあるとおり「働きたくない」と思う方には読んでほしい。第二は彼ら彼女らの両親である。本書を読むことで、自分たちと子供の世代の価値観がどのように異なるのか、どこは変わらないのかの差分を見て取ることができるだろう。第三は彼ら彼女らが過ごす職場の同僚である。いたずらに迎合することはお互いにとって良くないが、受容することは大事である。本書は受容のためのヒントとなるのではないか。
<参考文献>
菅野仁『ジンメル・つながりの哲学』日本放送出版協会、2003年
0 件のコメント:
コメントを投稿