2011年1月23日日曜日

【第9回】『人事評価の総合科学』(高橋潔著、白桃書房、2010年)

 人事評価とはセンシティヴであり、誤解を招きやすい話題である。そこでまずやや長い前置きを記したい。

 前職ではお客さまに管理職研修や評価者研修を提供し、また職能資格要件やコンピテンシーの作成を行ない、目標管理制度の定着支援に携わらせていただいた。また、学部時代には調査協力会社で人事制度のガイドブックの作成、修士時代には研究の一環として複数の会社の人事部門の方々にご協力を賜った。さらに、現職では事業会社の人事部門に勤務している。本文は、現在またはこれまでに私が関わらせていただいた全ての企業における評価制度とは全く関係がない立場で本書の感想を記す旨を予め申し上げておく。

 本書は、著者が「まえがき」でも記している通り、実務家を読者として想定した人事評価・考課制度に関する学術書である。一流の学術書である一方、実務者としても理解しやすく、納得感がある良書であり、評価・考課を扱った学術書・ビジネス書の中で出色のものである。人事の実務者の一人として、常に携帯したい一冊である。

 示唆に満ちた良書であるために多くのページを折り曲げて読んだのであるが、その中でもとりわけ思考がすすんだ箇所についていくつか記すこととする。

 日米の評価制度の特徴的な相違点は、アメリカの評価制度が多次元的である(ジョブ・ディスクリプションをもとにした職務等級制度を思い浮かべてほしい)のに対して、日本のそれは少次元的(情意・行動・実績をもとにした職能資格要件を思い浮かべてほしい)であると指摘されているが、これは簡潔にして明瞭な要約であると言えるだろう。両者のどちらが優れていてどちらが劣っている、ということはない。しかし、それぞれで有効な活用方法が異なっていると著者は主張する。

 具体的には、アメリカ流の多次元的な評価は、本人へのフィードバック効果という点で優れている。すなわち、評価を育成につなげるという視点である。これは、評価要素が具体的であり、他者からみて観察可能な状態であるため、自身の強みや弱みを把握した上で育成の指針を明確に立てられるのである。

 それに対して、日本流の少次元的な評価は、誰を上位のポストに上げるのかという昇進を目的とした際に有効である。少ない項目数であれば対象者の全般的な評価を行ないやすく、多くの人々の間で評価が同じようになりやすい。そのため、大掴みに人物を評価することに適していると言えるのだろう。

 こうした対比を踏まえれば、日本とアメリカにおいて、人事における同一のテーマが異なって使われることも自明である。たとえば、コンピテンシーがどのように活用されているかの相違は以下のようにまとめられるだろう。

 アメリカにおけるコンピテンシーは育成目的で用いられることが多い。ある職務のレベルにおいて求められる要件としてコンピテンシーを作成し、それを自身で把握して自主的な育成に結びつける。豊富な情報を提供することで、本人に気づきを促し、自主的な育成へとつなげるのである。

 他方、日本におけるコンピテンシーは評価の一つのツールとして用いられることが多い。とりわけ、ハイポテンシャル人材の要件やトップパフォーマンスを為す人材の要件を明確化するためにコンピテンシーは作成されることが多い。そうした人物を早期に抜擢するために使われるというイメージである。

 このように、同じコンピテンシーという概念であっても、その考え方や活用のされ方は日米で異なり、より掘り下げれば、人事戦略の相違によって異なるのである。

 しかし、日本とアメリカの制度とは別個のものというわけではない。それぞれの時代背景から、日本の制度が「人」を軸として発展し、アメリカの制度が「職務」を軸として発展してきた。その結果として差異が生じているのであるが、グローバル化が進展する中で、現在ではそのハイブリッド型が進行するという平野先生の指摘もある(平野,2006)。

 こうした将来の人事評価制度のあり方を見通して、著者は評価を処遇のためだけに用いられなくなると指摘している。評価結果を上司や本人にフィードバックすることで部下の業績向上を目指すパフォーマンス・マネジメントが主流となるというのである。その際には上司によるフィードバックの巧拙が部下のモティベーションに影響を与え、部門全体のパフォーマンスをも向上させる、とされる。制度というハード面だけではなく、それを運用する現場のソフト面をもきめ細かく配慮することが、人事戦略には求められると言えるだろう。

 人事制度の今後の展望を検討する上でも、本書のようなエッセンシャルな領域における研究書は役に立つのである。

<参考文献>
平野光俊『日本型人事管理』中央経済社、2006年



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