2017年6月11日日曜日

【第717回】『覇王の家(上)』(司馬遼太郎、新潮社、2002年)

 「真田丸」に続いて「おんな城主 直虎」を興味深く観ている。両者で共通に出てきていい味を出しているのが、徳川家康である。私が小学生の時に最初に書いた読書感想文では家康を扱った書籍であった。少なからず興味は持っていたが、信長や秀吉と比べると控えめで、慎重すぎるために印象に残りづらい人物ではある。しかし、天下を統一し、三世紀にわたる治世を行う礎を築いた傑物であることには間違いがない。彼を改めて知りたくなり、著者の小説でカジュアルに理解しようと本書を紐解いた。

 後年、豊臣家をほろぼすというその決断をするその瞬間までは、長いものに対するこの種の巻かれかたの態度が巧みで、そのことは巧みという技巧的なにおいはいっさいなく、天性の律儀さから発露しているようにも他人にはみられ、しかもひとだけでなく自分でも自然に自分の律儀さを信じ、さらにひるがえっていえばかれの律儀は決して律儀ではなく自分の鋭鋒をかくすための処世的なものであったことをおもえば、これほどふしぎな人物もまず類がない。この堅牢複雑にできあがった二重性格は、その幼少期の逆境と、少年期、敵国の織田家や今川家ですごした人質としての生活環境の苛烈さが自然につくりあげたものであろう。(41頁)

 人質として多くの時間を過ごした家康には、忍従という形容詞が付きまとうことが多いように思う。そこで培われたものは忍従や忍耐といったものだけではなく、他者に対して心の底から律儀に接することとともに、他方でそれを第三者的に俯瞰して意識できることとを両立することだと著者は述べている。「堅牢複雑にできあがった二重性格」という表現は家康を的確に表しているように思える。

 家康は、信長や秀吉のような天才ではなく、自分の体験を懸命に教訓化し、その無数の教訓によって自分の臓腑を一つずつつくりあげたような男だけに、戦勝よりも戦敗のほうが教訓性が深刻で、いわばためになった。(109頁)

 三方ヶ原での大敗に関する箇所であるが、読んでいて、勇気が湧いてくるから不思議である。普通の人間でも、普通に得られる経験を基にして、自分自身を高めていくことができる。もちろん、その程度は私たち凡人とは異なるのであろう。しかし、向かっている方向性に親近感が湧くと、程度の違いは関係がなく、人間味に触れたような気がして元気になるようだ。

 かれは、みずから中央と断絶した。この男が、この時期から死に物狂いでやったことは、ごく地方的な範囲内での領土の拡大であった。自分の勢力基盤をできるだけ強大にし、中央にいかなる勢力が勃興しようとも、それとの対決に堪えるだけの体質と体力を徳川家はつくっておかねばならない、と考えた。家康は、羽柴秀吉のように、一世にむかって華麗な大魔術を演出してやろうというような天分はまったくなく、その思考法はつねにきわめて素朴で、素朴であることに自分を限定しきってしまう冷厳さをもっていた。人間の思考は、本来幻想的なものである。人間は現実の中に生きながら、思考だけは幻想の霧の上につくりあげたがる生物であるとすれば、現実的思考だけで思考をつくりあげることに努めているこの家康という男は、そうであるがゆえに一種の超人なのかもしれなかった。(317~318頁)


 本能寺の変の後において、天下取りを無視して自分の基盤を地道に増やそうとした家康の行動の背景に関して述べられている。現実主義というものもここまで徹底されるとある種の理想主義になるのではないかとも思えてくる。現実を徹底的に突き詰めて、その中でのベストを実現していけば思いがけないレベルにまで達することになるのかもしれない。


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