2017年6月18日日曜日

【第719回】『坊っちゃん(2回目)』(夏目漱石、青空文庫、1906年)

 改めて漱石を一通り読み直している。彼の遺作である『明暗』を最初に読み直してから『吾輩は猫である』『坊っちゃん』と続けてみた。私が表面的にしか読解していないからかもしれないが、遺作とデビュー直後の二作品とのコントラストが鮮明で、本当に同じ著者の手になるものなのだろうかと訝しんでしまう。

 漱石は、イギリスから帰国して文学を探究する過程で思索に苦しむ状況が続き、その発散のために他者からの勧めで小説を書き始めたというエピソードを目にしたことがある。そこから類推すれば、初期の作品群ではユーモアが溢れ、精神的な葛藤や悩みを描かないように意図的に取り組んでいたのであろう。本格的に小説に取り組んでいく中で、自身の精神や苦しみとも向き合ってそれを描き出すようになり、後期三部作から『明暗』へと続く作風へと変化した、ということであろうか。

 本作は、初期の代表作の一つであり、明るさとユーモアに富んでいる。後期に漱石が描き出す内面描写も読み応えがあるが、彼のユーモアにも思わず微笑んでしまい、作品自体にも惹きつけられてしまう。その中でユーモアとは異なる箇所に、目を留めて考えさせられる部分があることに気づく。

 清と山嵐とはもとより比べ物にならないが、たとい氷水だろうが、甘茶だろうが、他人から恵を受けて、だまっているのは向うをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちで難有いと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。(Kindle No. 999)

 何かをもらったら、何かを返したくなる。無料でもらうことによって債務を持っているような感覚を持ち、それを解消したくなるという性質を多くの人間は持っている。これは、社会心理学でいうところの返報性であり、セールスやマネジメントの領域だけではなく、新興宗教の勧誘でもよく使われるテクニックの基盤となる考え方である。


 しかし、と漱石はここで私たちに投げかける。そうした債務性を感じずに黙って受け取ってただただ感謝してお返しをしないことが、その人物に対する尊敬なのではないか、と。もらったら返すという贈与のシステムは社会の発展において大事な機能を持っていることを否定するつもりはない。しかし、ここで漱石が投げかけている通り、時に他者への感謝を示すためには、もらったことを感謝するだけにとどめてお返しをしない、ということも大事なのではないか。


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