2017年6月17日土曜日

【第718回】『覇王の家(下)』(司馬遼太郎、新潮社、2002年)

 著者は、本書で家康という人物の考え方を形成した歴史や環境に焦点を当てたかったのだろう。だからこそ、家康の人生の総仕上げである天下取りのシーンを描くことをしていない。関ヶ原や大坂の陣は他の書籍に記しているから本書では一切書かない、という著者の態度は潔い。

 この男は、どうやら自分を抽象化するという奇妙な訓練を自分に課していたか、それとも徳川家康という名をもった虚空の抽象的存在が、この男の欲望と感情を管理しぬいてゆくという、そういうぐあいに自分の仕組みをつくりあげたか、どちらかであろう。本来、どれほどの想像力ももたず、むろん天才でもなかったこの人物が、この乱世のなかで多くの天才たちと戦ってゆくには、こういう自分をつくりだすほか手がなかったのかもしれなかった。(9~10頁)

 ユング心理学の碩学である故河合隼雄氏に『中空構造日本の深層』という名著がある。中心に権力を置く西欧に対して、中心が空であり周辺に権力を持たせるのが日本社会の特徴であるとしている。ここでいうところの家康の思想、もっと言えば家康が作り上げだ江戸幕府という考え方もその系譜にあるようだ。何より、前任の天下人であった秀吉が朝廷との距離を近づけた流れに逆らい、征夷大将軍という朝廷の周縁にある役割に自らを位置付け、物理的にも京都から遠い場所に幕府を開いたのがその証左であろう。加えて、そうした状況を当たり前のように認め、京都の朝廷ではなく江戸の幕府を権力主体として捉えた全国の大名たちの考え方が<日本人>的思考なのであろう。

 三河衆はなるほど諸国には類のないほどに統一がとれていたが、それだけに閉鎖的であり、外来の風を警戒し、そういう外からのにおいをもつ者に対しては矮小な想像力をはたらかせて裏切者ーーというよりは魔物ーーといったふうな農民社会そのものの印象をもった。(285頁)


 鎖国という政治判断を下し、公的には他国とのやり取りを著しく制限した江戸幕府の思想の大元がここに的確に指摘されている。驚くべきことは、江戸末期の排外主義の流れが<日本>のほとんどの地域で見られたことであり、三河という限られた地域での思想が<日本>全体の考え方に大きな影響を与えたことである。このように考えれば、こうした思想形体は時代を超えて、かつ江戸幕府の政治体制から変わって百数十年しか経っていない現代においても、色濃く残っていると考えるのが合理的であろう。


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