2015年9月6日日曜日

【第482回】『真田太平記(七)関ヶ原』(池波正太郎、新潮社、1987年)

 大きな合戦においては、その合戦の最中における指揮や采配も重要であることに相違ないが、事前における準備や行動がものをいうのであろう。戦争とは、外交の一つの手段であり、政治的交渉が不調に終わった場合に行なうものにすぎないと喝破したのはクラウゼヴィッツであるが、関ヶ原の戦いはそれを思わせるものである。

 第七巻で描かれる各武将の戦略や人となりは、それぞれに個性があり、善悪で測れるものではない。結果から鑑みて、徳川家康が反徳川陣営を関ヶ原へ誘い、一回の会戦で天下を我がものにした手腕を誉めてみることも、石田三成を豊臣政権の衰亡へ導いた張本人と断罪してみることも、意味がないのではないか。しかし、その両者や彼等を取り巻く人物たちの個性をよく見てみると、当時のような乱世においては、非合理の中で決断を下すリーダーシップの重要性が求められた、ということは言えよう。

 昌幸や幸村、それに信幸などばかりでなく、この時代の、すぐれた男たちの感能はくだくだしい会話や理屈や説明を必要とせぬほどに冴えて磨きぬかれていたのである。
 人間と、人間が棲む世界の不合理を、きわめて明確に把握していたのであろう。
 人の世は、何処まで行っても合理を見つけ出すことが不可能なのだ。
 合理は存在していても、人間という生物が、
「不合理に出来ている……」
 のだから、どうしようもないのだ。(127頁)

 緻密な計算を積み重ねて合理的な回答を導き出したとしても、その計算の前提となる所与の条件じたいが変化してしまえば、その回答は合理的なものとはなり得ない。理の重要性を否定するつもりは毛頭ないが、情や勘といったロゴスで測れない要素に基づく決断の重要性を、変化が激しいと呼ばれる現代において私たちは見直すべきであろう。

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