豊臣家の力をなきものにしようと画策する家康の執念の強さ。その強さの背景には、徳川幕府という組織としての強みがあり、その力を未来に向けて盤石なものとするために、豊臣家を滅ぼそうとする。その意志の強さは、自分自身が天下を取ろうというところにあるのではなく、戦のない社会を実現するという将来における社会レベルでの想いにあるのではないかとまで思えてくる。
そうしたマクロな視点と比して、個人と個人、家と家との闘いというものは微視的にすぎるようにも一見して思える。しかし、生きる私たち一人ひとりの立場に立てば、一回の人生の中でいかに生きるか、という切実な想いもまた重要なのではないか。こうした視点に立って、以下の向井左平次の真田幸村に対する想いを読んでいると、思わず感動してしまう。
(それにしても左衛門佐様は、この左平次が沼田から大坂へ駆けつけて来ると、そう思うておられるのだろうか?)
両眼を閉じた向井左平次の口もとへ、微かな笑いが浮いた。
(おれの生涯は、このようなものだったのか……)
いまにして、それが、はっきりとのみこめてきた。
人の一生など、わけもない。(203頁)
0 件のコメント:
コメントを投稿