関ヶ原での、というよりは、関ヶ原に趣く秀忠を迎え撃ったことの責めを受けて、紀州九度山へ蟄居させられた真田昌幸・幸村父子。その謹慎生活において、表立った活動ができないために、第八巻の物語の主役として、真田の草の者たちに焦点が当てられる。
忍の者たちの活躍の様は、音が静かであるからか、物語のトーンまでも静かなものになっているようだ。そうした中で、真田忍びによる家康暗殺計画の実行に向けた展開と、甲賀忍びによるその迎撃に対するエピソードも差し挟まれる中で、乾坤一擲の忍び同士の闘いの気運が高まる。しかし、その間際において、真田忍びによる暗殺計画を察した幸村が、女忍びのお江にその愚を切々と諭す箇所が印象的である。
「よう聞いてもらいたい。父上も、わしも、機来らば、大御所の首を討ち取ってみたい。これは申すまでもない。なれど、戦陣において討ち取りたい。戦陣なれば、関東に味方する兄・伊豆守殿とも戦わねばならぬ。よいか、ここが肝心のことなのだ」
一語一語に、ちからをこめて幸村が、
「なればこそ、たとえ、われらが大御所の首を討っても、兄上は天下に引け目をおぼえぬ。それがもし、われらが草の者を使い、たとえば大御所の上洛を待ち受け、密かに息の根をとめたとすれば、どうなるか……。
おそらくは沼田の兄上へも幕府の疑いがかかるであろう。いや、かからぬとしても、兄上の肩身がせまくなることは必定じゃ。ちがうか、お江。
さすれば、兄上のみではない。沼田へ移った真田の親族も家来たちも、叔母御までも幕府の咎めをこうむると看てよいのではあるまいか」
がっくりと、お江の肩が落ちた。
「そなたや弥五兵衛が、大御所の上洛をひかえて、いまこのときこそと奮い立つ心はようわかる。なれど、それほどのことなれば、これまでにも、してのけられぬこともなかったはずだ。父上やわしが、あえて、おもいとどまってきたのは、いま申したごとく、真田家はわれらのみで成り立っているのではないからだ」(568頁)
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