優れた研究者の方々は、なぜ企業での実務経験がなくとも実務家のかゆい所に手が届くような研究ができるのであろうか。私の学術上の師に当たる先生や、東大の中原先生の書籍を読むたびにそうした想いを持つものだが、本書もまた、そうした想いにさせられる力作だ。人事担当者として、折に触れて読み直したい一冊である。
なぜ、私たちは「人事」を気にしてしまうのでしょうか。結論から言えば、人事によって今までと異なる秩序が生まれることに、期待と不安の両方を抱くからでしょう。人事評価とは、「リシャッフル(組織改革)」の根底にあるものです。(kindle ver. No. 81)
人事評価の本質はリシャッフルにあると著者は端的に述べる。評価が下されれば、組織における人員の間において新しい秩序が形成される。実体が評価に反映されるという側面は自明であろうが、それとともに、評価が実体に影響を与えるという側面もある。これは、某アイドルグループの「総選挙」への関心の高さと、「総選挙」後の秩序変更を見れば分かり易いだろう。こうした人事評価が与える組織内の人々への影響を私たちは感知しているからこそ、私たちは人事評価を気にするのであろう。
こうした人事評価に関わる1990年代後半から現代における日本企業での傾向は成果主義人事への移行である。その特徴は、アメリカ型の成果主義人事への追随に始まり、日本企業にマッチしたかたちへの変容・同化が進んでいる。
多くの企業では、業績の概念を拡張して定義する動きが出てきました。すなわち、年度内で挙げられた(1)単純出来高、(2)最終結果、に加え、(3)結果を出すために実際にとった行動、が業績の範疇に加えられたのです。(2)最終結果、の定義に(4)数年がかりで追求する目標の達成につながる当期中の結果、を含める場合もあります。
実際の工夫や行動になってくると、もはや「顕在化された能力」と言っても差し支えないのかもしれません。つまり、多くの日本企業における成果主義的改革は、従来よりもバラエティー豊かに従業員の職務遂行能力を捉えようとする試みでもあり、能力主義にとってかわるものではなかった可能性があります(中村、二〇〇六)。(kindle ver. No. 544)
日本企業では、元々、職務をもとにした評価制度、つまり職務等級制度が馴染まず、人をもとにした評価制度が主流であった。人を中心にした評価制度の典型が、職務遂行能力を評価の基準の中心に据えた職能資格制度である。 日本企業は、アメリカ型の成果主義を受容する過程で、職能資格制度をもとにして成果主義における評価内容や評価プロセスを組み替えつつあるのである。
目標管理を行う際には、目標設定時に従業員本人の主体性を尊重することが重要とされます。評価される内容について、評価される本人が策定に関わることで、本人にとっての目標の妥当性が高まり、達成への意欲が高まることが期待されるというわけです。(kindle ver. No. 560)
こうした成果主義人事を構成する一つの制度として目標管理制度が挙げられている。個人の目標は、組織の目標から落とし込まれるものであると同時に、個人側の主体的な想いも反映されるものである。したがって、目標を設定する際に、働く個人の関与が伴えば、目標へのコミットメントは高まる。
「納得」という言葉を定義するのは、意外と難しいのですが、本書ではさしあたり、「今後の仕事に対する前向きな気持ちの減退をともなわない、評価や処遇への従業員の反応」としておきましょう。(kindle ver. No. 578)
こうした目標へのコミットメントについては、本書のタイトルにもなっている「納得」というレベルに留めることが合理的であろう。積極的に目標に対して取り組めるようにというよりも、目標に対してネガティヴな反応を減らすことが、人事の実務においては求められる。
こうした中では、職場のマジョリティの不満感を解消し、評価の高低にかかわらず全員を「不満とは言えない」という水準以上までもっていく、というのが現実的な目標となります。(kindle ver. No. 587)
さらに言えば、現実的な人事制度の運用目標としては、不満ではないというレベルまでで良いと著者が述べている点に人事担当者は留意するべきであろう。人事評価制度というものは、全ての人にとってベストのものにすることはほぼ不可能である。したがって、満足を高めるというよりも、不満足要因をいかに取り除くか、という点が重要なのである。
では人事担当者として、どのように対応することが望まれるのか。
企業から与えられる「過程の公正」に頼らず、従業員自身の「ものの見方」の変化により、結果として現れた評価や処遇に納得するーー「公正である」と推測する、あるいは、「公正かどうか」という問いへの回答を留保するーーことは可能です。これまで挙げてきたこうした従業員の知覚には、評価や処遇に対する理想論的な色彩があまり見られません。そのためそれらを、「現実主義的な評価観」と呼ぶことにしましょう。(kindle ver. No. 1174)
まず、制度そのものというよりも、社員側の「ものの見方」に対してアプローチを取ることが重要である。では、「ものの見方」に影響を与えるためには何が重要となるのであろうか。
とくに、従業員本人とその上司である管理者との関係が決定的に重要になります。なぜならばこの関係は、人事評価の現場において、被評価者と評価者の関係に転じるものであり、日常的な関係が従業員=被評価者にとって魅力的であるか否かにより、人事評価における曖昧さの捉え方、それに対する不満、疑念、不安の強さが大きく異なってくるからです。(kindle ver. No. 1198)
結論はシンプルである。制度の運用者としての評価者と被評価者との関係性が重要となる。残念ながら、人事制度の曖昧性を直接的に人事がケアすることはできない。したがって、評価者が曖昧性をケアできるように、人事がいかにサポートできるかが肝となるだろう。では何を人事はサポートできるのか。
こうした感覚を従業員にもたせることができている上司は、部下に対する関心をもち、情報収集やフィードバックという形で、その関心を具体的な行動に移すようです。(kindle ver. No. 1230)
日常において、多忙な評価者が、被評価者の評価に関する情報をいかに収集するかをサポートするべきであろう。次に課題となるのは、プレイング・マネジャーが多くなっている昨今の日本企業において、いかに評価者の評価に関する負担感を少なくできるのか、という点である。
企業内のさまざまな取り組みの中で、「パフォーマンス・マネジメント」のツールに最も近い位置にあるのが、評価制度だと言えます。(kindle ver. No. 1596)
ここでは評価制度を評価のためのものとして捉えるのではなく、組織としての役割を全うするためにパフォーマンス・マネジメントのツールとして捉えることが指摘されている。評価をパフォーマンス・マネジメントの一環として捉えることが、組織としての目標達成とともに、個人の成長目標の達成へと統合する現実的なソリューションとなるだろう。このように考えれば、人事に求められる役割というものも明確になるだろう。著者の以下の言を人事担当者は心して留意しなければならない。
ウルリッチなども口を酸っぱくして主張していますが、「戦略パートナー」であるためには、何より「職場の守護者」であることが求められます。具体的には、現場の事情やニーズに基づいて経営戦略をより洗練させる、人事管理を媒介とした現場の人々とのコミュニケーションを通じて経営戦略を腹に落とさせる、といったことです。これらができない限り、経営戦略の創造や実現に対して独自な貢献ができるプレイヤーとして、経営層や他のスタッフ部門から尊重されることはないでしょう。現場から相手にされないのも当然です。求められるのは、「職場の守護神」から「戦略パートナー」への「拡張」だったのです。(kindle ver. No. 1467)
戦略人事という役割が人事担当者に求められて久しい。ウルリッチの四象限に基づけば戦略パートナーという概念になるが、そのためには、著者が指摘するように職場の守護者であることが同時に求められるのである。ビジネス環境が変わることでライン部門に求められる人材要件の変化には目を見張るものがある。しかし、それと同時に、スタッフ部門である人事担当者も、そうした変化に対応して自らの役割を拡張していくことが求められていることに留意したい。
『日本型人事管理』(平野光俊、中央経済社、2006年)
『新ヒューマンキャピタル経営』(花田光世、日経BP社、2013年)
『組織内専門人材のキャリアと学習ー組織を越境する新しい人材像ー』(石山恒貴、日本生産性本部、2013年)
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