緊張感あふれる展開で一気呵成に読み進めた。結論の要点を予め知って読み始めていながらも、特に中盤から後半にかけては先が気になってしかたがなかった。ハイキングは好きだが、氷壁を登るような本格的なクライミングは怖くて挑戦したことがなく、よくわからない。したがって物語の中には私には分からない専門用語や情景が多く描かれるのだが、それが気にならないほど一気に読ませるのは著者の流石の力量である。
なぜ雪山のような厳しい登山を目指す人がいるのか。「そこに山があるから」という名言も有名であるが、本書で扱われている山野井泰史は以下のような考えを持っていたと語られている。
わからなさは、危険と隣り合わせだということでもある。しかし、同時に、自分の未知の力を引き出してくれる可能性もあるのだ。(21頁)
未知にはリスクがあるが可能性もある。生命のリスクを賭して何かに打ち込むというのは私には考えづらいが、生命でなくともリスクを取ることを私たちは避けがちだ。しかし、リスクを恐れると自身の未知の多様な可能性を開発する機会を得られるチャレンジを喪失する可能性がある。それは短期的にはリスク回避行動であっても、中長期的にはリスクを負っているものである。
このように考えれば、リスクが未知の力を引き出すという言葉にも納得できる部分があるのではないだろうか。何にリスクを賭けるかの対象選定が大事であり、そこにその人の価値観は現れるのであろう。
この絶望的な状況の中でも、二人は神仏に助けを求めることはしなかった。ただひとつ、山野井は心の中で、この圧倒的な自然というものに対して呼びかけていたことがある。どうか小さな自分たちをここから叩き落とさないでほしい、と。(220頁)
この部分には感銘を受けた。弱い人間であれば、困難に遭遇した時、かつその困難が外的な環境に因るものであれば、日頃は宗教を持たなくとも神仏にすがりたくなってしまうものではないか。少なくとも私はそうである。
神仏にすがるのではなく、自然に対して呼びかけること。この表現はすごいと思う。
【第814回】『孤高の人(上)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第816回】『孤高の人(下)』(新田次郎、新潮社、1973年)
【第766回】『八甲田山死の彷徨』(新田次郎、新潮社、1978年)
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