2018年9月22日土曜日

【第885回】『漱石先生ぞな、もし』(半藤一利、文藝春秋社、1996年)


 夏目漱石の義孫であり近現代史を扱った評論の多い著者が、漱石の作品やその背景について「歴史探偵」として迫った作品。著者の歴史評論の鋭さを基にして、漱石好きには堪らない細かな推理が展開される。

 著者がなぜ漱石を改めて紐解こうとしたのか。それは単に漱石について調べるというよりも、漱石が生きた時代考察を進める過程で半ば副産物として出てきたようだ。

 漱石の作家としての出発となった『我輩は猫である』の一章が発表されたのは、旅順陥落と前後する明治三十八年一月、そしてその死は大正五年十二月九日である。漱石は、わたくしのいう「転回点」の時期をそっくり小説家として生きた人であった。時代とのかかわりにおいて、これ以上に恰好の明治人はいないではないか、とばかりに、ほんとうに久しぶりに「漱石」のページをつぎつぎにくることとなった。(296頁)

 昭和史を研究していくと明治維新にまで遡行すると著者は述べ、明治を生きた夏目漱石の作品に着目したという。その上で漱石の講演を基に歴史を学ぶ者が陥りやすい過ちを279頁で以下の四点に集約した。

(一)現在をすべての基準にして、歴史的価値を裁断してしまうこと。
(二)現在の必然ばかりを強調し、偶然性や想像性を捨て、複雑なことを一筋化してしまうこと。
(三)主義の名に固執し、異なった事象や変化を同一視してしまうこと。
(四)形式的な分類によってすべてを律してしまうこと。

 謙虚に歴史を学び、謙虚に歴史に学ぶことの重要性が指摘されている。耳が痛い部分もあるが、心して読みたい箇所だ。

 上に引用した歴史に関する考察の要諦は、漱石作品に関する考察にも反映されている。とりわけ『三四郎』に関する以下の分析が興味深い。

 はたして野々宮さんが真に恋のライバルなのかどうか、分明でないところに『三四郎』の面白さがある。それをはっきり示さずに、「野々宮」と呼び捨てにすることで三四郎の一方的な心理の焦りをだす。そんなところに、漱石の見事な小説作法があるように思うのであるが、どうであろう。まるっきりの誤診かな。(164頁)

 美禰子を巡り三四郎といわば三角関係にあった野々宮。著者のつぶさな分析によれば、野々宮宗八どの、野々宮宗八さん、野々宮さん、野々宮君、野々宮、という異なる呼称が、三四郎の気持ちの現れとして使い分けられているという仮説を立てている。

 三四郎の美禰子に対する気持ちを直接的に表現せず、呼称によって読者に無意識に想像させる。明治の文豪・夏目漱石の凄みに迫る、著者の考察の凄みも感じさせる箇所ではないだろうか。

【第866回】『ノモンハンの夏』(半藤一利、文藝春秋社、2001年)
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