出てくる登場人物が、いずれも葛藤を抱えている。中学生で葛藤を深刻に感じるものだろうかと当初は思っていたが、いわゆる反抗期と呼ばれる現象は、高まる葛藤をコントロールできないがゆえの事象であろう。
さらに言えば、葛藤を抱えていない人間などいるのであろうか。誰もがなんらかの葛藤を抱いているために、「バッテリー」のシリーズで描かれる多種多様な登場人物がもがき苦しむ情況に共感できるのではないだろうか。
何ができるのか、何ができないのか、それを知った上で、おまえは野球を選ぼうとしているのか。(153頁)
野球に対してだけ、それも投手という存在にだけ集中してきた巧が、祖父から投げかけられた言葉を反芻するシーンである。最終的に選ぶものは変わらなくとも、選び取るプロセスの中で視野を拡げてみることで、選ぶ対象の捉え方は変わる。潜在的な自身の価値観への気づきにより、人間としての幅も拡がるのかもしれない。
幻ではない。街も自分も確かにここにある。深々と空気を吸い込んで、巧は、再び走り出すために、街の風景に背を向けた。(226頁)
「バッテリー」はモノローグがすごいなと感じてきた。しかし、三人称で書かれた五巻の最後の一文もまた、すごい。
【第420回】『一瞬の風になれ 第一部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第422回】『一瞬の風になれ 第二部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
【第423回】『一瞬の風になれ 第三部』(佐藤多佳子、講談社、2006年)
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