物語の展開にのめり込みながら、暗鬱とした気持ちになるというのは不思議である。まず英雄譚ではないし、成功に導いた偉大なリーダーと失敗によって隊を全滅させたリーダーとを対比的に論じているのでもない。全員が生還した隊における言動の描写にも首をかしげざるを得ない箇所は随所にみられるのである。
成功したリーダーはすべてが美化されて一部のネガティヴな部分すらユーモラスに語られるという後付けのストーリー構成は私たち読者に受けがいい。特に、失敗したリーダーを対照的に描写すれば、なおさらそのストーリーは面白いものになる。
しかし、現実とは、本書に描かれるようなものなのだろう。安易な善と悪という二項対立で論じることは、現実を曲解し、見たいものだけを見ようとする作為なのではないか。このように捉えなおすと、本書のような記録文学の価値というものが改めてわかるような気がする。
「将校たる者は、その人間が信用できるかどうか見極めるだけの能力がなければならない。弥兵衛も相馬村長も信用置ける人間だと思ったからまかせたのだ。他人を信ずることのできない者は自分自身をも見失ってしまうものだ」(69頁)
何が雪山の走破を可能にした成功要因であり失敗要因であったのかを断じるつもりはない。しかし、困難なプロジェクトであればあるほど、同じ船に乗る人々をいかに信じることができるのかが肝要になるのではないか。
もしなんらかの形で他者や他者の行動に疑念や疑問が生じると、他のメンバーと一緒に同じ方向を向くということは難しくなる。プロジェクトが困難であればあるほど、少しの疑問がにわかに大きくなり、それによって成功から遠ざかるということはあるのだろう。文字通りそれが生き死に関わるようなシリアスなものであれば尚更だ。
プロジェクトというとやや無機質な響きもある。しかし、その完遂に向けては、人という有機体、そして人と人との繋がりというものが大きく作用する。このことを改めて考えさせられた。
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