2017年10月28日土曜日

【第770回】『浮世の画家』(カズオ・イシグロ、飛田茂雄訳、早川書房、2006年)

 ノーベル文学賞を受賞した著者の書籍を恥ずかしながら読んだことがなかった。本読みの名が廃ると思い、近所の図書館に所蔵してある書籍をまずは借りてみた、というのが事の次第である。

 時制が突然にして変わる文体に慣れるのがなかなか大変ではあったが、そうしたストレスを感じながら読むというのも趣深いと後半では思えるようになった。戦前に国策に合致した作品で著名になり、戦後にその過去の「遺産」に対する周囲の目を意識する主人公を描いた物語である。重たいテーマであるにもかかわらず、すらすらと読めるのだからすごい。おそらくは、役者の力量もあるのだろう。

 「少なくともおれたちは信念に従って行動し、全力を尽くして事に当たった」後年に至って、自分の過去の業績をどう再評価する事になろうとも、その人生に、あの日わたしが高い峠で経験したようなほんとうの満足を感じるときが多少ともあったと自覚できれば、必ず心の慰めを得られるはずだ。(304頁)

 過去にとらわれ、苦悩しながらも、旧友と対話をしながら、過去の信念に対する是非ではなく、信念に準じて悔いのない行動をとったことに誇りを持つという結論に至った主人公。その是非はなんとも難しいことではあるが、悔いなく、真剣に何かに取り組むという点には魅きつけられる。

 わが国は、過去にどんな過ちを犯したとしても、いまやあらゆる面でよりよい道を進む新たなチャンスを与えられているのだと思う。わたしなどはただ、あの若者たちの前途に祝福あれと心から祈るだけである。(306頁)

 自身の過去に対するこだわりからある程度抜け出た後に、後世に対する優しい眼差しと、社会の将来に対する明るい展望とを見出した主人公。戦後すぐの時代における時代精神も含まれているであろうし、本書が最初に出版された1986年というジャパン・アズ・ナンバーワンの時代精神も反映されているようだ。今、著者が主人公に最後を語らせるとしたら、どのような発言になるのだろうか。



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