2017年10月7日土曜日

【第762回】『ローマ人の物語9 ユリウス・カエサル ルビコン以前(中)』(塩野七生、新潮社、2004年)

 カエサルが政治の表舞台での活躍を始め、三頭政治を展開している様が描かれている本作。古今東西の稀有なリーダーが、四十に至るまで鳴かず飛ばずであった遅咲きであることも面白く、また不惑を越えて活躍し始めるというのも論語を体現しているようで興味深い。

 野心とは、何かをやりとげたいと思う意志であり、虚栄とは、人々から良く思われたいという願望である。(19頁)

 大学生の時分に初めて本シリーズを読んで最も感銘を受けた箇所である。記憶もしていた。改めて考えると、印象深かったのは三つにまとめられるようだ。

 第一に、野心という言葉をネガティヴに捉えていたのであるが、それ自体は価値中立的な意味合いとして捉えて良いのであろう。もちろん、やりとげたい何かがポジティヴかネガティヴかによって評価は異なってくることにはなる。第二に、虚栄心というものもネガティヴに捉える必要はなく、ニュートラルに捉えれば良いという点も興味深かった。第三に、野心と虚栄とは相互に対立するものではなく、カエサルのように両者を高く持つことができ得るものであるという点である。但し、野心が少しでも虚栄よりも高くないと自分を律することが難しくなるのかもしれない。

 戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。生きるためにやるものだと思っている間は、組織の健全性も維持される。その最もはっきりした形が、一兵卒にもわかるようにはっきりした形が、食料の確保だった。カエサルは、その重要性を生涯忘れていない。(91頁)


 野心家であったカエサルは、理想を追い求めるだけではなく現実を見据えていた。だからこそ兵糧・兵站の重要性を忘れず、その確保を前提とした上で戦略遂行のためのアクションを計画・遂行していたのであろう。これは『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』でも述べられている先の大戦における日本軍の失敗要因の主要な一つを端的に指摘しているとも言えよう。私たちにとって耳が痛い部分であるとともに、社会にとって大事な点は古今東西でも変わらない本質があるのかもしれない。


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