本シリーズのハイライトのひとつであるユリウス・カエサルを題材にした最初の巻。彼が檜舞台に立つまでの背景が淡々と述べられている。後に三頭政治として活躍するポンペイウスやクラッススと比して、カエサルの地味なキャリアが鮮明になっている。
私には、ギリシア人とローマ人のちがいの一つは、この点にもあるような気がする。ギリシア人は、アテネであろうとスパルタであろうと、階級闘争はどちらかが勝利するまでつづけられ、勝ったほうが敗者を従属させることでしか終わらなかった。スパルタ国内の階級は固定したままだったし、アテネでも、平民側が勝てば平民の独裁政体としてのデモクラツィアになり、貴族側の反撃が成功すれば、平民側は貴族の独裁に、黙って従うしかなかった。反対にローマ人の性向は、しばらくは争っても結局は、共存共栄の方向に向うのである。これが、ローマ人に帝国創立とその長期の維持を許した要因ではないか。ちなみに、対決主義で通したギリシア人中唯一の例外は、アレクサンダー大王であったと思う。(53頁)
階級闘争におけるギリシアとローマの対比。ローマの寛容性がここでも述べられている。元老院の支配する体制を守ろうとする貴族側と、貴族による寡頭制を打破しようとして共和制を目指す平民側との対立構造がローマにおいても見られる。こうした対立構造によって、この後の時代においてカエサルとポンペイウスとの対立が見られるわけであるが、それでも階級闘争が行われても共存共栄に終わることがここで暗示されているのである。
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