数年前に著者の『デフレの正体』を興味深く読み、本書が出た時には意外なテーマを扱っていると感じていつか読もうと思いながら何年も経ってしまっていた。清々しい書籍である。
タイトルからすると、地域の活性化や環境問題について肩に力が入った議論が展開されるのかもと思ったが、そのようなことはなかった。テーマとしては地域経済や環境が扱われるが、取材やインタビューで展開される論旨は、おおらかで心地よい。
こうした清々しい展開は、里山資本主義の定義にあるのではないか。以下の定義に目を通してほしい。
里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。
ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることではない点だ。むしろ、「開かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。
そのために里山資本主義の実践者たちは、二〇世紀に築かれてきたグローバルネットワークを、それはそれとして利用してきた。自分たちに必要な知恵や技術を交換し、高め合うためだ。そうした「しなやかさ」が重要なのである。(100~101頁)
地域における資源の活用を重視するとともに、内側に閉じるのではなく、利用できる外部のリソースやテクノロジーは十分に活用するしなやかさ。これが里山資本主義であると著者たちは述べているのである。
こうしたオープンな姿勢は、IターンやUターンで地域が活性化して注目されている周防大島町の椎木町長の以下の言葉に表れている。
「私は行政のなかにいる人間ですが、一番不足しているのは、やる気があってもアイディアが薄い点。自分でも反省しているのですが、外のまったく違うタイプの方々のアイディアをいただけたら、もっと面白いものができるのではないかと期待しています」(174頁)
地方都市においては、そこに住む人々が外から来る人々に対して排他的な姿勢を示すことが多いと言われる。いわゆるムラ社会に対して多くの人々が抱くイメージであり、現代においても決して現実とかけ離れたものではないだろう。
しかし、活気のある地域においては、周防大島町長のようなマインドセットを持った方々が活躍されているのではないか。上記の言葉は、いろいろな可能性を感じさせてもらえる。
里山資本主義は、マネー資本主義の生む歪みを補うサブシステムとして、そして非常時にはマネー資本主義に代わって表に立つバックアップシステムとして、日本とそして世界の脆弱性を補完し、人類の生き残る道を示していく。(303頁)
しなやかな態度で捉えれば、里山資本主義と現代におけるマネー資本主義とは、トレードオフの関係ではなく補完関係にあるという最後の結びをよくかみしめたい。
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