読後の今、不思議に思うことがある。本作の主人公は、前作と同様に信長であったのであろうか。少なくとも私は、明智光秀に心境を照らし合わせながら読んでいた。
まずは、信長に対して光秀が抱く人物評を取りあげたい。
勁烈な目的意識をもった男で、自分のもつあらゆるものをその目的のために集中する、つまり「つねに本気でいる」男だ、と光秀はいった。(147頁)
(信長は自分の先例を真似ない)
ということに光秀は感心した。常人のできることではなかった。普通なら、自分の若いころの奇功を誇り、その戦法がよいと思い、それを摸倣し、百戦そのやり方でやりそうなものだが、信長というのはそうではなかった。(169頁)
強烈な目的意識とそれを唯一の拠り所に断固として行動する。また、その達成のためには手段に捉われず、自分自身の成功体験すらも捨て去ることができる。リーダーシップの発揮の有り様として、信長が後世において賞讃されることの多い理由が、光秀の目から端的に語られている。しかし、そのようなトップに仕える身であるからこそ感じる苦労もまた、多いものだ。
光秀の胸中には、生き身の義昭とはべつの、光秀の放浪期の偶像ともいうべき義昭がいまなお棲みつづけている。それを討ち、さらに足利将軍家をつぶすとなれば、光秀のこれまでが何のためにあったのか、わからない。
(おれ自身の過去を討つことになる)(511頁)
この夫は外で心気を労しきるために、内でこのような大言壮語を吐いてかろうじて心の平静を保とうとしているのであろう。(550~551頁)
独自の正義感が強い信長に否定されないよう、自身のかつての主人を追放するというアクションすら、拒絶することはできない。内省的な人物として描写される光秀にとって、意志を持って取りつづけた過去の自分の行動を、自分自身で否定することは辛かったに違いない。そうした辛さを外で吐露することはできないため、内において大きなことを言いたくなる気持ちというのは、痛いほどによく分かる。
リーダーシップの朗らかな側面と沈鬱とした側面とを併せ持つ信長。彼に対して、最終的に論理よりも感情面での決断によって謀反を決断した光秀。感情の最も大きな部分の拠り所となったのは以下の部分に凝縮されているのではないか。
光秀は、教養主義者である。粗野で無教養な男というものを頭から軽侮する癖をもっている。信長を、その軽侮の対象として見た。(18頁)
ある人物に対するプラスの感情とマイナスの感情。通常、私たちは二つの側面を抱くものだろう。何らかの事情でそのどちらか一つを選択しなければならない時。自分の領国を返上させられた揚句に中国の刈り取りを許可された毛利討伐に赴くか、主殺しの悪名を享けてでも天下を自分自身の理想に近づけるために本能寺に進路を取るか。究極の二択が眼前にあった時に、その決断は、論理ではなく感情が為したのではないだろうか。光秀にとって、最初に抱いた信長への感情が、その後の経験則に基づいた理性的判断に優り、本能寺の変は起ったのであろう。
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