幼い頃から本を読んできた。正確には、小学生時代には、両親の教育方針により、朝食の前に約十分の読書時間というものが設けられ、読む機会を強制的に作られていたという表現が適切である。古今東西の偉人の伝記や、名作と呼ばれる書物を紐解くことはそれなりにたのしく、嫌々ながら本を読むということはなかったように記憶している。
読書との蜜月状態が一時的に中断していたのは、中学生から高校生の時分である。両親は、子どもに読書を勧めるにも関わらず、自分たち自身は本を読む習慣を持っていなかった。また、私は四人きょうだいの長子であり、ガイドとなるような書物を勧めてくれる人物は、当時の私の周りにはいなかった。そのため、中学時点において読める書籍と、その時点ではその善さが分からない書籍との峻別ができなかったのである。そのような私にとって、朝の読書は次第にフラストレーションとなることが多くなっていった。読書の習慣を辞めさせる決定打となったのが、本書、つまり『暗夜行路』であった。主人公の出自の設定が過酷すぎて共感できなかったのであろうか、本書のメッセージや意味が分からなかったのである。
高校を卒業し大学に入学する十八歳の春から、再び書籍とは良好な関係を築き始めたのではあるが、本書を読むことは私にとって二十年ぶりのリベンジであった。数年前から小説も好んで読むようになってから、いつかは本書に再挑戦したいと思っていたが、なかなか踏ん切りがつかなかった。今回、一大決心をして読んでみて、非常に惹き付けられたというような劇的な変化はなかったが、しみじみと噛み締めながら読むことはできた。とりわけ印象的であった部分を抜き書きしてみたい。
船は風に逆らい、黙って闇へ突き進む。それは何か大きな怪物のように思われた。(150頁)
自身の境遇にまつわる暗い状況を振り払おうとする、主人公の苦闘ぶりをアナロジーとして描いているのであろうか。感ずる部分の大きい箇所である。
自分のような運命で生れた人間も決して少なくないに違いない。謙作はそんな事を考えた。道徳的欠陥から生れたという事は何かの意味でそれは恐しい遺伝となりかねない気もした。そういう芽は自分にもないとは云えない気がした。然し自分には同時にその反対なものも恵まれている。それによって自分はその悪い芽を延ばさなければいいのだと思った。本統につつしもう。自分は自分のそういう出生を知ったが為めに一層つつしめばいいのだ。(200頁)
自身ののろわれた生まれについて兄から知らされた後の主人公のモノローグである。苦しい状況の中で、どのように対処していくかを自分自身で試行錯誤しながら考えているシーンである。こうした考え方をすることによって、悩みがなくなるというわけではない。しかし、考えを巡らせることによって、自分自身の精神状態を安定させる作用にはなり得るのではないか。
人と人との下らぬ交渉で日々を浪費して来たような自身の過去を顧み、彼は更に広い世界が展けたように感じた。(518頁)
結婚後にも主人公に襲いかかる不幸の連続。それらの果てに、一人旅に出て山寺での生活の中で会得した認識の変容が描かれている。苦境の中で苦しみながら、自分自身の認識を変容させようともがくことが、自分の人生を切り拓くということなのではないか。単に、過去の経験を応用するのではなく、過去の有り様をアンラーニングして、自分自身の内にある可能性を開拓すること。キャリアに関する考え方とも通ずる(『「働く居場所」の作り方』(花田光世、日本経済新聞出版社、2013年))ように私には読める。
本書を読めるようになったのは、二十数年という決して短くはない人生経験を経たからだけではないように思う。小説というものを、登場人物に共感しながら読もうとすると、心理的に入り込めないケースもある。しかし、以前の島崎藤村の『破壊』に関するエントリー(『破壊』(島崎藤村、青空文庫))でも述べたように、自分が知らない他者の世界観や、自分が知らない自分自身の多様性への感受性を耕すこともまた、小説を読む醍醐味なのではないか。このように考えれば、私にとって本書もまた、感ずるところの多い小説であったと言える。
『三四郎』(夏目漱石、青空文庫、1908年)
『それから』(夏目漱石、青空文庫、1909年)
『門』(夏目漱石、青空文庫、1911年)
『彼岸過迄』(夏目漱石、青空文庫、1912年)
『行人』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
『こころ』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
『それから』(夏目漱石、青空文庫、1909年)
『門』(夏目漱石、青空文庫、1911年)
『彼岸過迄』(夏目漱石、青空文庫、1912年)
『行人』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
『こころ』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
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