2014年12月28日日曜日

【第395回】『三国志(四)』(吉川英治、講談社、1989年)

 苦境に継ぐ苦境の連続で、曹操はおろか、孫権にも大きく遅れを取り、天下を取るなど夢のように遠い劉備。そうした中であっても、仁と義を重んじ、人として正しくあろうとする姿勢には思わず襟を正さざるを得ない。

「いけない。そんな不仁なことは自分にはできない。ーー思うてもみよ。人にその母を殺させて、その子を、自分の利に用いるなど、君たるもののすることか。たとい、玄徳が、この一事のため、亡ぶ日を招くとも、そんな不義なことは断じてできぬ」(281~282頁)

 苦難の中で劉備が出会い、乞いて軍師として迎え入れた徐庶。彼の智恵と策謀によって、曹操の軍隊に大勝し、他の武将からの信望も篤い中、彼の母の手によると称された手紙に因って曹操のもとに赴こうとする徐庶を、劉備は止めない。当然、曹操のもとに下ることは、優秀な軍師でありかつ自軍の内実をよく知悉している類い稀な存在を敵のもとに授けることを意味する。それでも、劉備への苦衷の心を持ちながら母への恩義に報いようとする彼を、劉備は止めようとしない。孝を重んじる行動を妨げることは、不仁であると捉えているからである。自分のことを考えず、相手を慮る徹底した君子たる行動が、その直後に孔明との出会いを導くのであるから、人生は面白い。

「ーーそうじゃ、自分のいる所ーーそれを明らかに知ることが、次へ踏みだす何より先の要意でなければならぬ。御身をこの地へ運んできたものは、御身自体が意志したものでもなく、また他人が努めたものでもない。大きな自然の力ーー時の流れにただよわされてきた一漂泊者に過ぎん。けれどお身の止った所には、天意か、偶然か、陽に会って開花を競わんとする陽春の気が鬱勃としておる。ここの土壌にひそむそういうものの生命力を、ご辺は目に見ぬか、鼻に嗅がぬか、血に感じられぬか」(318~319頁)

 あまりに有名な三顧の礼で孔明のもとを訪れる中で、劉備は、孔明と日頃付き合いのある様々な人と出会う。そうした中の一人に司馬徽がいる。ここで引用したのは、司馬徽が劉備に語った言葉である。自分自身が現在いる位置を知ること。それは自分の分を知ることでもあり、時代を知ることでもあり、多様な可能性を知ること、といったことを意味するのではないだろうか。


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