2014年12月23日火曜日

【第393回】『三国志(二)』(吉川英治、講談社、1989年)

 本巻でも、劉備の人格者としてのリーダーシップに目がいくばかりである。

 玄徳は、義の廃れた今、義を示すのは今だと思った。強いて暇を乞い、また、幕僚の趙雲を借りて、総勢五千人を率い、曹操の包囲を突破して、遂に徐州へ入城した。(162頁)

 子供の頃には理解できなかったのであるが、こうした劉備のあり方は論語的である。中国の方々が何を善と見做すのかは、物語のなかで時代を創る人々による論語的な態度や行動として描写されるシーンを読むことで理解できるのではないだろうか。

 涿県の一寒村から身を起して今日に至るまでも、よく節義を持して、風雲にのぞんでも功を急がず、悪名を流さず、いつも関羽や張飛に、「われわれの兄貴は、すこし時勢向きでない」と、歯がゆがられていたことが、今となってみると、遠い道を迂回していたようでありながら、実はかえって近い本道であったのである。(197頁)

 目先の利害に捉われず、自分の信じる義の道を、ゆっくりとではあっても確実に進み続けること。こうすることが、結果的には、物事を成し遂げる上で効果的な方向に進むことに繋がるのであろう。

「いや、わしはどこまでも、誠実をもって人に接してゆきたい」
「その誠実の通じる相手ならいいでしょうが」
「通じる通じないは人さまざまで是非もない。わたしはただわしの真心に奉じるのみだ」(217頁)

 猛将ではありながらも、いささか義に悖ると言われる呂布からの饗応への招待に応じようとする劉備に対して関羽と張飛は止めようとする。それに対する劉備の最後の言葉が非常に重たく私には響く。

 われら兄弟三名は、各々がみな至らない所のある人間だ。その欠点や不足をお互いに補い合ってこそ始めて真の手足であり一体の兄弟といえるのではないか。そちも神ではない。玄徳も凡夫である。凡夫のわしが、何を以て、そちに神の如き万全を求めようか。(333~334頁)

 酩酊の上で大失態を犯して城を敵に取られた張飛に対する劉備の言葉である。義兄弟の契りを結んだ仲とはいえ、ここまでの寛容の精神を持てるであろうか。思わず襟を正して自身を省みざるを得ない珠玉の言葉である。


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