2013年6月30日日曜日

【第172回】『「働く居場所」の作り方』(花田光世、日本経済新聞出版社、2013年)

 「会社に居場所がない」「ようやく職場に居場所があるように思えてきた」といった表現を私たちはすることがある。職務において身近な概念である「働く居場所」をいかに作るかがキャリアそのものであると著者は端的に指摘する。居場所がないという状況は自身のキャリアの健康度合いに問題があり、そうした状況が長続きすることはキャリア開発に悪い影響を及ぼしかねない。反対に、職場が変化しながらも自分の居場所を継続的に作れる人は、そのプロセスを内省することで自身のキャリア展望を切り拓くきっかけを自身の中から導き出せるだろう。

 いかにして自分の居場所を作り、キャリア開発を自らすすめるか。そのための態度の有り様として、以下の二つの重要な点を著者は指摘する。

 第一に、「自然に、多様に、今を生きる」という態度である。私たちは、あることができるようになったり、一人前と見做されるようになることで自己効力感(セルフエフィカシー)を得る。自己効力感じたいに悪い作用はない。しかしそれをあまりに重視することは、過去や今における自身のスキルや経験にしがみつき、新しい世界に対して一歩を踏み出すことができなくなるリスクを内包する。したがって、できることもあればできないこともあるが、なんとかなるものだという自己肯定感(セルフエスティーム)がより重要である。なぜなら、人間は多様な存在であり、自分の価値観や有り様は一つにすぎないという考え方は現実に即していないからである。ために、「多様な能力と可能性を有している自分自身への気づきを通して、その自分らしさの発揮を、多様な局面で実践し続けるプロセス」(135頁)という著者のキャリアの定義にも、多様性はキー概念として含まれるのである。

 第二はアンラーニングである。「学習棄却」と直訳されるために誤解を招くこともあるが、アンラーニングはなにもそれまで習得したり学んだ知識やスキルを捨て去ることを意味しない。そうではなく、それまでの自身の特定の考え方やものの見方から自分自身を解放するという意味合いである。そうした自分自身の囚われから解放するために、そもそも論を時に考えることが重要であろう。とりわけ、希望していた職務上のポジションや望ましい報酬といった外的キャリアに意識が傾注しがちなときほど、なぜ自分がそうしたものを望んでいたのかというそもそも論を考えることがキャリアをすすめる上で大事なポイントとなるだろう。そのように自分自身の囚われから解放されることが、心的発達やキャリア発達における個性化の実現へと繋がる。こうした個性化の一つの形態として、神戸大学の金井教授が提唱する「一皮むける」経験が例として挙げられている点は興味深く、かつ納得的である。

 では、こうした二つの態度をもとにどのようにキャリアをすすめていくのか。以下のように、キャリアの節目における行動と、節目と節目の間である日常における行動とに分けて考える必要があるだろう。

 まず日常における行動について検討していこう。日常における行動を考える上でまず大事な指摘は、不安や心配事はなくならないという現実を受け容れることである。考えてみれば当たり前であるが、ポジティヴ・シンキングを誤用して不安や心配をあたかもないかのように扱う言説が敷衍している現状では重要な指摘である。不安や心配を受け容れながら、身近な小さな出来事から元気をもらう、という点に注目するべきであろう。こうしたマインドセットの工夫に加えて、職務において基礎を着実にマスターしながら、少しずつ工夫をしてみることで個性化や自分らしさを創り込んでいく。その際には自身の多様な興味関心のある事項を発揮してみることで、たのしみながらチャレンジすることができるだろう。そうした日常的な工夫を施す姿勢を、周囲の中で見る人は見ている。その結果として仕事の幅が拡がる可能性も大きくなるだろうし、なにより自分自身がたのしみながら職務に取り組めることが大きいだろう。こうした多様なこだわりを発揮しながら仕事を拡げていく社会人を著者は「職師」と表現し、キャリア自律を実現する新しい働き手として称揚している。

 次に、節目におけるキャリア行動について考えてみよう。日常で求められる現場での小さな工夫に対して、節目では人間力やキャリアコンピタンシーを発揮することが重要である。さらには、節目が訪れることを座して待つのではなく、自ら節目を創っていくというプロアクティヴな行動もまた重要である。節目においては学びの質が変わる。他者から影響を受けながら、過去のスキル・知識・経験からの延長線上にない新たな学びが生じる。その際には、どのような知識・スキル・コンピタンシーを発揮するか、というメタレベルのコンピタンシーである人間力が重要な要素となる。人間力は人によって高かったり低かったりするものではなく、全ての人が自ずから有しているという著者の指摘は重要である。自然に持っているものであるから、当事者意識を持って発揮したいという意識を持てるか否か、が問題となってくる。このように考えれば、人間力を発揮しながら節目を積極的に創ろうとする行為は、生き方の幅を拡げることであり、キャリアとは人の生き方に関わるものと考えるべきだろう。

 キャリアにおける態度と時期に応じた行動についての論調は説得的であり、示唆に富むものである。そうであればこそ、現代における新しい情報インフラでありコミュニティであるSNSとの関連性を考えることが、私たち読者が考えるべき、著者からの宿題なのではないか。自分自身の多様性に気づくということは、多様な他者との関係性によって実現することであるはずだ。そのように考えれば、多様な他者との多様な関係性を、場所の制約を減じながら随時アップデートできるSNSを活用しない手はないだろう。たしかに、著者が指摘するようにFacebook上で安易に「いいね!」をもらうという程度の低い承認欲求を得ようとする行為は反省するべきだろう。しかし、だからといってSNSを活用しないという結論を導く必要はない。自分自身の多様性、他者との関係性の多様性を豊かにでき得るSNSの可能性について、私たちは今一度考えるときに来ている。そのヒントは、自分自身を拓くオープンネスであり、既存の関係性を耕すことにあるように私には思える。


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