2013年7月6日土曜日

【第173回】『活動理論と教育実践の創造』(山住勝広、関西大学出版部、2004年)

 教育とはなにか。成長という概念で説明しようとすると、たちまち個人単位へと領域を狭めてしまうことになる。些末な定義を捨象してしまえば、成長とは、個人の認識の変容に過ぎないからである。著者はデューイから連綿と続く社会学的なアプローチで教育を捉え、人間の教育可能性は「人間の学習の社会的性質」(59頁)に基づくものであるとする。

 教育の持つ社会性に着目すれば、教育という概念の射程範囲は、私たちが日常的に考える以上に広まりを持つこととなる。こうした考え方をもとにすれば、エンゲストロームの「拡張的学習」という学習観が引き出されることになる。著者は、拡張的学習を「現在の実践活動の文化歴史的文脈を拡張し、これまでにないような新しい実践活動の文化的パターンをつくりだしていく集団的学習活動」(102頁)と本書では定義づけている。ために、拡張的学習という学習観に基づいた学習活動とは、「活動のコンテクストを批評し、問題を創造し、活動のモデルの創出と適用のさいのガイドラインとして役立つ、方法論、ヴィジョン、世界観を道具として、活動システムの再構築をつくりだしていく」(117頁)という発展可能性を有する。

 拡張的学習に則った学習活動の発展可能性は、こうした学習というサイクルだけではなく、コミュニティへと波及する。つまり、「直接的な一次的グループから始まって集団や組織へ、さらには活動の社会的ネットワークへと拡張」(117頁)することで、社会人の学びの文脈で言えば越境学習へと、学校での教育の文脈で言えば総合学習へと繋がる。

 コミュニティどうしが結びつくことで、知識と知識が結びつく。そうした対象とプロセスの変容によって、学習の対象じたいが多層的に変容する。こうした現象は協働的な学習であり、「学習する組織」における学習観と同根のものであろう。したがって、学校であれ企業であれ、変革と結びつき易い考え方である。

 変化が激しいと言われる現代においては、教師や研修講師が一方的に知識を伝えるという教育スタイルが通用する範囲は狭くなってきている。そうした旧態依然的な教育スタイルに替わって、拡張的学習が有する教育への可能性は大きいだろう。しかし、私たちは日本の学校における総合学習の「失敗」にも同時に留意する必要がある。決められたものを決められた進め方で伝えれば通用する教育スタイルとは異なるものが総合学習では求められる。端的に記せば、そうした新しい学習観に基づいた新しいスキルセットとマインドセットが必要なのである。

 これは何も教師の単独の問題ではない。拡張的学習理論が述べるように、教師もまた、教育のシステムの一つであり、彼(女)らを取り巻く様々な制度や社会的文脈に合わせてトータルなしくみとして考える必要がある。こうしたバックアップシステムとセットでなければ、次代を担う世代を教育することは難しいのではないか。

『状況に埋め込まれた学習』(J・レイヴ+E・ウェンガー、産業図書、1993年)
『経営学習論』(中原淳、東京大学出版会、2012年)
『「経験学習」入門』(松尾睦、ダイヤモンド社、2011年)

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