2013年7月13日土曜日

【第175回】『秀吉の枷』(加藤廣、文藝春秋社、2009年)

 本書は単独でも楽しめるのであろうが、著者の前作『信長の棺』と併せて読むことをお勧めする。歴史ミステリーとでも呼べるジャンルの本作を読む上で、前作を読んでいると、想起され易い人物や、繋がってくる史実があるからである。

 本書によれば、秀吉という人物の行動原理の軸は、信長との関係性、朝廷(天皇)との関係性という二つに集約されるようだ。朝廷との関係性が一貫した行動原理に繋がるのに対して、信長との関係性は主従関係が始まった当初から信長の死後に至るまで揺れ動く。こうした静と動の対照的な関係性が、秀吉という稀代の人物の言動を興味深いものにし、また秀頼誕生後の不可解な言動へと導くのである。

 まず朝廷と秀吉との関係性について。秀吉の出自については諸説あり現代に至っても確定していないのであるが、京都から落ち延びた藤原道隆の末裔であると著者はしている。藤原道隆は、藤原家による摂関政治の土台を創り上げた藤原道長の兄であり、道長との権力闘争に敗れた人物である。秀吉=農家の出身、という通説を否定するのは『信長の棺』から続く著者のスタンスであるが、こうした出自に基づく朝廷への尊崇の念が秀吉の静的な行動原理となる。天皇への尊敬の精神が、征夷大将軍ではなく京都の朝廷と密接な関係を持つ関白および太政大臣というポジションへと秀吉を導く。

 さらにこの尊皇精神が、朝廷を軽んじる言動を繰り返す信長への反発心を生じさせたのではないか、と著者はする。加えて、人々の命を軽視する信長への不信感と繋がり、信長よりも自身の方が将の器が大きいという確信に繋がり、信長に対する叛意が芽生え、大きくなる。信頼する竹中半兵衛との対話から、信長およびその主たる配下への偵察活動を本格化させ、信長に取って代わるチャンスを窺い、それが本能寺の変への間接的な加担へと至る。この一貫した仮説は爽快な論理であり、一気に読ませる。

 しかしタイトルの「枷」に表されているように、信長を謀殺したという心の負い目が天下を取った後の秀吉の重しになる。謀殺の証拠を匂わさせられる家康に対して強く出ることができず、家康の勢力を弱めることに失敗する。自身の子ではないと言われ自身もそのような疑いから逃れられないにも関わらず、信長の妹の娘である淀の子・秀頼を後継者にするために数少ない肉親の秀次に切腹を強いる。天下人となった後の、一見すると傍若無人とも言える秀吉の言動について明快な論理が爽快であるが故に、対照的になんとも重たい読後感も残る。

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