2013年6月22日土曜日

【第168回】『空白を満たしなさい』(平野啓一郎、講談社、2012年)

 自殺した主人公が蘇生し、自身の自殺を受け容れた上でそこに至るプロセスを明らかにする、というSF的な小説である。主人公の対話と思索に寄り添いながら読み進めることで、死ぬこと、生きること、他者との関係性、そしてアイデンティティーについて、深く考えさせられる。

 主人公の相談相手となる精神医学者の台詞を通じて言わしめている本書の最も大事なメッセージは、<分人>という概念である。自身が関わる他者それぞれとの間に<分人>が形成され、<分人>の集合として自身のアイデンティティが規定される、と著者はする。ジンメルの形式社会学に基づいていると思われるこの考え方自体に新規性はないように思えるが、そこから理論をすすめ、現代社会への実践的な示唆を与えている点が素晴らしい。

 主人公が自殺へと至った一つめの理由として、人は<分人>ごとに疲れる存在であるが、<分人>の集積体としての身体は一つでしかないという点が重要である。職務上での自分と言っても、クライアント、上司、部下との間での<分人>があり、家族との関係と一括りに言っても妻、父、母、妹、弟、息子、娘といった多様な<分人>がある。それぞれとの<分人>でのプラスの側面とマイナスの側面は積み上がっていくこととなるし、疲労感も蓄積することになる。職場でしんどいことが多かった日に、日頃なら容易に耐えられるストレスに耐えられず苛ついてしまう、という日常的な現象は<分人>の考え方で説明できるのである。それぞれの<分人>での疲労が溜まり、自分の身体というコップから水が溢れ出すことが、自身を追いつめる一つの要素である。

 こうしてコップから零れ落ちる状況において、自身が大事にする考え方から鑑みて、自身にとって許せない<分人>との関係を消そうとする時が非常に危険である。そうした時に、ポジティヴな<分人>はネガティヴな<分人>を消そうとして、身体を傷つけようとする。それが嵩じた時に、人は「魔が差す」と表現して自殺へと至ってしまう。これが、主人公が自殺をした二つめの理由だ。幸福の絶頂の中にいると主人公自身も思っている時期に、自身にとって許せないネガティヴな<分人>を消そうという思いが強くなり、疲労感と相俟って自殺という手段を取ったのである。

 自身の肯定的なイメージに悪い影響を与える存在である、「自分はこんな人間ではない」と思うようなネガティヴな<分人>を消そうとする気持ちは拭い難い欲求である。では、私たちはどのように対応すれば良いのか。著者は、この問いに対しても本書の中で回答を与えている。

 端的に著者の表現を引用すれば「分人同士で見守り合う」(396頁)ということがヒントとなる。つまり、ネガティヴな<分人>を頭から否定しようとするのではなく、ポジティヴな<分人>の視点から客観的にネガティヴな<分人>を見守るのである。というのも、多様な<分人>は、固定的な関係性ではなく、ある時点ではポジティヴと考えられていても、ネガティヴに転じることはある。逆もまた然りである。したがって、各<分人>の疲労の蓄積が水準を超えている状態で、ネガティヴな<分人>の深刻な一撃を受けた時は、その時点でポジティヴな<分人>の視点を持って現状をメタ認知することである。こうすることが、自身の精神的かつ身体的な健康を保ち、人生をゆたかに生きることに繋がるのではないだろうか。


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