最初から息をつかせぬ小説もあれば、興に入るまで時間を要する小説もある。私にとって本書は後者である。
織田信長を取り巻く謎に迫る本書は、信長を少しでも知る読者にとっては極めて興味深い問いに満ちている。実在した歴史家である主人公の目線を通じてその問いに迫っていく展開はスリリングであり、一気に最後まで読ませる。こうした歴史に問いを投げかけて一つの大胆な仮説を提示する著者の姿勢に感嘆するばかりである。作中で主人公に独言させている「奇跡には必ず裏があるもの。歴史とは勝者の作り話に過ぎない」(上・188頁)という言葉が著者の探究心を言い表している。
また探究心とともに謙虚さも垣間見える。「自分が、あるいは自分らの側近仲間が、陣中で、戦場で、真実と思って書き留めていた記録すら、見方と立場がひとつ変われば、かくも簡単に別の解釈が成り立つという事実に、牛一は愕然とした。」(下・53頁)という点には、丹念に事実を分析する著者の姿勢が見えて読んでいて心地よい。
興味深い問いと、それに対する著者の仮説を追ってみよう。
桶狭間の合戦について。
・今川義元を討ち取った武将よりも、義元の居所を見つけ出した簗田政綱が、非常に多額の褒美をもらったのはなぜか?
➡今川との連絡係として事前工作を行っており、口封じ目的で褒美を取らせたため。
・二万の大群が桶狭間山にいる義元の本陣を囲んでいたのに、信長側がそれらの軍隊に全く逢わずに本陣にたどり着けたのはなぜか?
➡信長は降伏するために武具を持たずに訪れたにすぎなかったため。
・「武具を持たない信長が義元を討てた」のはなぜか?
➡秀吉の出身地である丹波者が油断する義元の本陣を急襲したため。
秀吉の出自について。
・農民から立身出世したと言われるのにすぐ馬に乗れ武具を操れたのはなぜか?
➡尾張の農家の出身ではなく、丹波の隠者の出身であったため。
本能寺の変について。
・事変の前に、毛利討伐に向わず光秀が京都の山中に山籠もりをしていたのはなぜか?
➡信長打倒後に確実に信長討伐の綸旨が出るように公家と折衝していたため。
・明智光秀は本能寺の変の後、なぜ京都でいたずらに時間を費やしたのか?
➡天皇から信長追討の綸旨が下るのを待つため。
本書のタイトルにもなっている信長の遺体に関する問いと仮説まで提示すると本書を読む最大の醍醐味がなくなるので、ここでは割愛する。興味がある方にはぜひ本書を読んでいただきたい。
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