法社会学の本を読むのは今回が初めてだ。しかし、歴史社会学、組織社会学、社会心理学、といったように社会学は比較に基づいて考察を行う学問領域であり、これまで好んで読んできた書籍との親和性が高く違和感がなかった。法を比較によって学ぶ際に、何と何を比較するかがキーとなるが、本書では、日本とアメリカの法制度を比較している。
まず、比較を行う際の留意点を著者は冒頭で述べている。ある国の法体系における理想像と、他国の法運用における現状とを比較するミスを犯さないこと、である。つまり、理想は理想とで比較し、現状は現状と比較するということである。研究においては、説明変数と被説明変数とのレベル感を合わせることに研究者は注意をするものであるが、それと同じことであり、当たり前である。しかし、当たり前であるからと言って、それをつい忘れてしまうことが多いこともまた事実であり、充分に留意する必要があると言えるだろう。
その上で、日米における法制度の比較を著者は行っている。よく、日本とアメリカとの文化の相違によって法制度が異なっていると言われるが、そうした要因は小さいと著者は述べる。たとえば、日本人は裁判が嫌いで、アメリカ人はなんでもすぐ裁判に持ち込む、というのは思い過ごしに過ぎないそうだ。
では何が異なっているのか。三つの観点から著者は述べている。
まず第一に法制度の適用範囲の違いである。日本では、全国統一の法制度を持っており、全国で統一的な法規範が適用されている。他方、アメリカでは法制度は連邦と州のレベルで分けられている。したがって、州が異なれば適用される法制度は異なる。たとえば、連邦法で21歳未満の飲酒は禁止されているが、どのように禁じているのかという方法については州によって異なり、禁じる法がない州もある。
第二に法規範の違いである。日本は制定法によるものが主体であり、解釈の一貫性を重視する単一の裁判所制度によって解釈・運用が行われる。あくまで判例は制定法を補足するものにすぎないのである。それに対して、アメリカでの法規制の多くは判例法によるものであり、裁判所の解釈も必ずしも一貫していない。したがって、日本においては裁判を起こす主体からするとどのような判決が下されるかの予見性が高いが、アメリカにおいては予見性が低い。だからこそ、弁護士の力量によって判決が変わり得る余地が大きい。
第三に一般人がどれほど法律を知悉しているかの違いである。「アメリカ人は裁判好き」という偏見を持っている方は意外に思われるかもしれないが、アメリカの一般的な人は法律について詳しくない。これは、法律は法科大学院で学ぶものであり、大学の学部レベルでは法律はほとんど学ばない。それに対して、日本では学部レベルで法学部があり、また他の学部であっても多くの大学生は教養課程において何らかの法律に触れることが多い。したがって、業務において法律を扱わない人であっても、ある程度、法律についての知識があると言えるだろう。
法制度の比較を行うためには、こうした社会学的な比較を行うことで、法を取り巻く背景の相違について把握することが重要と言えるだろう。今後の自分自身への戒めとして、心に刻んでおきたい。
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