バルサのトップチームにカンテラ上がりの選手が多いことは有名だ。メッシ、シャビ、プジョル、イニエスタ、と挙げれば切りがない。名実ともに世界一と称されるバルサのトップチームにおいて、カンテラから上がってきた若手がなぜ活躍できるのか。その一つの大きな理由は、トップチームからカンテラの最年少カテゴリーに至るまで同じシステムを利用しているからである。同じシステムの中での動きに慣れているからこそ、上位のチームに上がったときに自分のパフォーマンスを遺憾なく発揮しやすくなっているのである。
たしかに、こうした外的なシステムによる育成が奏功していることもあろう。しかし、これが本書の、そしてバルサの人材育成の要諦ではない。客観的な理論やシステム論ではなく、選手の態度の有り様が今のバルサの強さを支えている、と著者は結論づけている。
人材を育成するためには、そもそもどういった人材にバルサに入ってもらうか、つまり採用が重要になる。興味深いのは、バルサの選手が異口同音に義務感でボールに触っていたのではなく、遊びの感覚を持ちながらボールに触れていた、ということである。クラブの練習の後に行う自発的な練習を日本ではよく「自主練」と呼ぶが、こういう感覚ではなく、ボールと「戯れる」という感覚だそうだ。ボールと自然に「戯れる」ことのできる人材を採用しているのであろう。好きこそものの上手なれ、という諺があるが、「戯れる」ことができることは一つの才能であり、自発的に成長する素地のある子どもたちである。某有名サッカー漫画で「ボールは友だち」を信条としてボールと「戯れる」主人公が、作中でバルサに在籍していることも興味深いシンクロ現象と言えよう。
ではこういった子どもたちにバルサは何を教えているか。
謙虚さである。自信を持つことは悪いことではないが、自分のことに価値を見出すのであれば、他者の行動に対して感謝し、謙虚さを持つ、という考え方である。もちろん、勝負に対する徹底した意識が彼らには前提として求められているそうだ。しかし、勝負に対する強いこだわりを持ちつつ、それと同時にそしてより強く、対戦相手に対して謙虚さを持つことをバルサでは徹底して教育している。
このように、サッカーに対して「遊び」の感覚を持ちつつ向上に励み、他者に謙虚に接するという個人としての日々の修練が基礎を為す。しかし、プロのチームである以上、選手起用の権限を担う監督との関係性が必要不可欠であることは言うまでもないだろう。
選手にとってのチャンスは突然やって来る。分かり易い例を挙げれば主力選手の怪我である。チームに穴が空いた時にどのような選手にチャンスが与えられるか。著者は、監督が必要とする人材像に当てはまっていなくてはチャンスが回ってこない、という。つまり、監督から信頼されていることが必要である、ということであろう。
これは仕事においても類推し易いことであり、少し飛躍して書いてみたい。
信頼されるには、まず努力し続けていることが大事である。何が他者から求められているかは常に変わる。したがって、関心領域を少しずつ拡げながら常に学び続ける必要がある。本書でも、幾人もの選手が学び続けることの重要性、とりわけ教養を深めることを指摘している。次に、学んでいることを目の前の与えられた役割の中に活かす工夫をすることが必要であろう。学んでいることをすぐに成果に結びつけることは難しいが、それでも適用を試み続けて少しずつアジャストすることが大事なのではないか。さらに、それを自身の中に閉じてしまうのではなく、他者に対してオープンにすることが大事であろう。自分なりの工夫を他者から批判されることは精神的にきついこともあるだろうが、他者にそのチャレンジが見えなければ評価されることはできない。他者からの評価に対して、バルサのカンテラの子どもたちのように謙虚に接することが大事なのではないか。
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