2011年12月17日土曜日

【第57回】『渋沢栄一 Ⅰ算盤篇』『渋沢栄一 Ⅱ論語篇』(鹿島茂、文藝春秋、2011年)

 近代日本の資本主義の父とも称される渋沢栄一。前近代的な社会であった当時の日本にあって、なぜ渋沢が資本主義国家を形づくることができたのか。また、なぜ岩崎弥太郎のように近代的な企業をつくることだけに注力するのではなく、産業をかたちづくることに注力したのか。その答えは、武士の流れを汲む「官」の金銭蔑視と民業軽視への反発であり、またその裏返しである「民」の没理念と没倫理への批判、という二つの想いにあったようだ。

 まず、武士はなぜ金銭蔑視の差別感情を抱いたのか。その理由として著者は朱子学がもたらした江戸時代の武士社会におけるエートスを挙げる。林羅山らが説いた朱子学では、武士階級は金銭に関わらないが故に尊いものとし、朱子学をはじめとした学問を学ぶ武士階級は自ずと実業と無縁になった。それゆえに、支配階級としての武士階級は、実業つまり金銭に携わる農工商の階級を蔑視することになった。その結果、学問を学ぶのは武士階級、実業に従事するのは農工商階級といった具合に、学問と実業とが分離することとなり、武士階級による金銭蔑視感情が定着したのである。

 こうした階級間における学問と実業との分断状況が民の没理念と没倫理への批判に繋がる。すなわち、民間は実業と金銭とを直接的に結びつける思考回路しか持たず、教養を学ぶことで得られる広く社会に対する視点を持てない。したがって、渋沢は官だけではなく、民に対する批判的精神を持ち、官と民とで学問と実業とが分断されている当時の日本の状況に危機感を持ったのであろう。


 こうした官と民との対立構造を打破するために、民の立場にこだわって、企業家を支援し、自らも数社を起業し日本の産業を立ち上げた。それと同時に商業を推進する人材の育成にも力を注いだ。民の没理念と没倫理を批判する渋沢であるため、民間教育においては実業の教育といっても単に商業にとって必要な専門知識を与えるためのものではない。民間で商業を担う人材であるからこそ、全人格的な教養の修得を重視し、商人が官に対して卑屈な感情を持たず、また私利私欲に走ることがないようにと考えたのである。こうした渋沢の努力の結晶が東京高等商業学校の大学への昇格であり、これは現在の一橋大学である。
 
 コリンズとポラスは名著『ビジョナリーカンパニー』において、偉大な企業は「時を告げるのではなく、時計をつくる」として、永続的に発展するしくみをつくることの重要性を調査で明らかにした。企業が「ビジョナリーカンパニー」を目指すことは素晴らしいことであるが、企業は産業構造の中に存在するものである。時計をつくるためには、部品を調達する企業、それを商流に乗せる企業とが必要であり、そうした一連のしくみが産業である。 重大なコンプライアンス違反が起き、実務とかけ離れた浅薄な知識の詰め込みが「教育」と呼ばれる現状が、渋沢が志向した理想の状態に今の日本の産業があるとは思えない。今こそ、渋沢という日本の近代産業の創始者の考え方を噛み締めることが大事な時期なのかもしれない。




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