2019年3月2日土曜日

【第934回】『陋巷に在り 1 儒の巻』(酒見賢一、新潮社、1996年)


 論語好きを公言している身として、本書を読んでいなかったのは甘かった。全13巻にもおよび歴史長編小説では、顔回が主人公として描かれているようだ。少なくとも今のところは。

 顔回は孔子の最愛の弟子という位置付けで論語では登場するが、彼自身が何かを発したり行動を起こしたりということは少ない。むしろ目立たない存在である。その顔回に焦点を当てているだけでも本書は面白い。

「真実を知りたいならこんな所でわたしを襲ったりせずに魯に行って尋ねればいい。知る為の正しい努力をしたらどうです」(124~125頁)

 尾行してきた敵と相対した顔回の一言。後半が痺れる。

「その竹に羽を括りつけ、鏃をつけて礪けばさらに深く突き抜くことができよう。学ぶというのはそういうことだ」(228頁)

 子路と初めて出会った時に、孔子が諭した一言である。ご存知の方も多いだろうが、子路は元々孔子に悪意を持って「絡んで」きたのである。力を誇示しようとする子路の論調に真正面から向き合い、力を強くするために学ぶことの大切さを諄々と説くシーンには、言葉の迫力を感じる。

【第92回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)
【第340回】『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年)

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