子蓉が操る妤と医鶃との息つまる闘いがクライマックスに近づいた時に、顔回の内面世界へと場面が一転する。この展開もすごいが、顔回の内的な世界を通して論語の世界に触れさせる著者の筆致には恐れ入る。ともするとオカルティックな展開であるが、決して重たくはなくすらすらと読み進められる。
それが顔回の卓越した知る力のせいである。知るということは子蓉には分かりにくい。知る力は、認識すること、尋ねること、窮めること、分かること、推し測ること、洞察すること、直観すること、他人の心に共感することなどが渾然となった能力である。そのいくつかは子蓉には欠如しているか、萎縮してしまっている能力であった。(318頁)
孔子をして「一を聞いて十を知る」と言わしめる顔回の学習能力に関する記述である。顔回の受身的な学習に対する態度を子蓉から否定される中で差し込まれる一節に、顔回の凄みが現れる。
【第934回】『陋巷に在り 1 儒の巻』(酒見賢一、新潮社、1996年)
【第935回】『陋巷に在り 2 呪の巻』(酒見賢一、新潮社、1997年)
【第936回】『陋巷に在り 3 媚の巻』(酒見賢一、新潮社、1998年)
0 件のコメント:
コメントを投稿