2019年3月10日日曜日

【第937回】『陋巷に在り 4 徒の巻』(酒見賢一、新潮社、1998年)


 小生卯と孔子との静かな闘いは、熱を帯びた闘いへと移行する。それは、徒と儒との思想の違いによる戦いのようである。その思想の違いはどこにあるのか。

 徒という移動情報者とでもよぶべき者たちが存在せねば、文化の発展の様子、歴史の進む速度はかなり変わったに相違ない。(中略)
 顔氏のような儒も、広い意味では他所から来た徒であったのかも知れない。ただ地に土着してしまったものは、生み出した思想や技術は継承するのみで、積極的に他に押し広げようとはしない。(中略)
 孔子の行ったことも言ってみれば徒的なもののそれであった。(216頁)

 儒は土着し、徒は移動した。これが違いである。しかし、儒の出身である孔子は移動して徒的に行動した。その結果として、儒教として彼の教えは形作られ、後世の今に至るまで流布している。

 これは孔子が異端であったことも表している。だからこそ、彼が政治面では必ずしも恵まれなかったということなのであろう。こうした孔子への風当りは、小生卯をはじめとした旧来の人々からの恨みの結果として現れたのではないだろうか。

【第934回】『陋巷に在り 1 儒の巻』(酒見賢一、新潮社、1996年)
【第935回】『陋巷に在り 2 呪の巻』(酒見賢一、新潮社、1997年)
【第936回】『陋巷に在り 3 媚の巻』(酒見賢一、新潮社、1998年)

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