2019年3月16日土曜日

【第938回】『陋巷に在り 5 妨の巻』(酒見賢一、新潮社、1999年)


 シリーズを通した主人公は顔回だと思っていたのであるが、この五巻では顔回はほとんど登場しない。顔回の守り役である五六が良くも悪くも物語の中心人物の一人として登場してくる。

 人の恨みというものは恐ろしい。誰かに恨まれて自分自身にその害が来るのであればまだわかるが、自分を取り巻く人にその害を及ぼすことがある。本作では、顔回を苦しめるために、顔回に想いを寄せる妤に呪術が掛けられ、それが五六にも影響を及ぼすという読んでいて暗くなる展開だ。

 五六は自分が正常であることをつゆほども疑ってはいない。五六は妤を助け、守るためにここにいる。前に決心したことであり、己の意思のままにそれを遂行しているまでのことだ。何も変わってはいない。自分には何の異常もない。もはや呪術を妤に仕掛けた者のことは心の中で後回しにされ、妤が妤でなくなっているという異常を異常と感じなくなっていた。(210頁)

 呪術についてはよくわからない。しかし、ここで怖いなと思ったのは、自分自身を省みる姿勢が弱くなると、自分は正しいと信じ、自分の判断の結果として他者をも盲信する、という姿勢になってしまうことである。

 五六の正義感が、知らず知らずのうちに変節する様を見ていると、読者としては大きな違和感を抱く。「いや、そこで気づくでしょ!」とツッコミを入れながら読みたくなってしまう。

 しかし、当事者となった時に、その変節が少しずつの連続であると、本人は気づけないものなのかもしれない。だからこそ、自らを省みることが学習の基本であると孔子は論語で述べているのではないか。

【第934回】『陋巷に在り 1 儒の巻』(酒見賢一、新潮社、1996年)
【第935回】『陋巷に在り 2 呪の巻』(酒見賢一、新潮社、1997年)
【第936回】『陋巷に在り 3 媚の巻』(酒見賢一、新潮社、1998年)

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