POGとは Paper Owner Game の略称であり、実在の競走馬を用いたゲームである。デビュー前の数千頭の競走馬の中でどの馬が活躍しそうかを予想し、その相馬眼を競い合うという馬好きの矜持を賭したものとも言えるだろう。以下は私が仲間内のPOGに参加していた2009年12月に書いたエッセーであるが、一部冗長に過ぎるので加筆・修正している。
「ダノンパッションが右前脚屈腱炎を発症。来春のクラシックは絶望。」
12月4日にインターネット上のスポーツ紙各誌でこの報道を目にしたときの落胆は酷かった。ダノンパッションは、「私の馬」たちの中でようやく頭角を現した、大きなレースを勝てそうな牡馬(オスの馬)であり、それだけ期待を掛けていた存在だったのである。その彼が故障とは…。屈腱炎であれば約半年前後はレースに出られないことを覚悟しなければならない。最初から期待していなければここまで落ち込むことはなかったに違いない。明るい将来を嘱望できる存在であったが故に、故障という現実に直面して私は酷く落ち込んだのである。
将来といっても遠い話のことではない。ダノンパッションはその二週間後にG1レース「朝日杯フューチュリティーステークス」(以下、朝日杯)への出走が確定しており、上位人気が予想されていたのである。私はレースが行なわれる中山競馬場に彼を応援しに行こうと思い、期待に胸を膨らませていたのである。「私の馬」がG1で勝つシーンを目の前で見る機会が遠のく瞬間であった。
競馬において、G1レースはよくテレビ中継されているために頻繁に行なわれているイメージがあるかもしれない。しかしG1は年に十数回しか開催されないレースであり、またそうしたレースに出走できる競走馬は、ごく一部の競走馬だけである。実際、POGに参戦した初年度における「私の馬」は、G1で好勝負を演じるどころか、ただの一頭としてG1に出走することすら叶わなかったのである。
しかし暗澹とした心持ちの中で思い直した。二週間後の期待は潰えてしまったが、一週間後があるではないか。一週間後には、2歳牝馬(メスの馬)のG1レース「阪神ジュベナイルフィリーズ」(以下、阪神JF)があり、そこにも「私の馬」が出走することが確定していたのである。「私の馬」の出走が実質的に確定した11月の時点で、私は阪神JFがある阪神競馬場行きを心に決め、妻の了承を得、宿泊先も押さえ(正確には「お願い」をし)、準備を整えていたのである。POGに参戦して初めて迎える「私の馬」のG1レースへの出走は胸が躍るものであり、またもし勝つことになるようならば是が非でも現地で見たいと思っていたのである。
阪神JFに出走が確定していた「私の馬」は二頭いた(後述するように、その後タガノガルーダが出走のための抽選に通ったため、最終的には3頭が出走)。一頭目はステラリード。彼女は8月に開催されたG3・函館2歳ステークスを勝利した、私にとって恩人ならぬ「恩馬」である。というのも、POGとは獲得賞金の多寡を競うゲームであるため、賞金が高いレースでいかに勝つかというのがゲームの行方を左右する一つの大きなポイントとなる。二年目のシーズンが開始した直後に、ステラリードがG3というG1・G2に次ぐカテゴリーのレースを勝ったため、私はこれ以上ないほどのスタートダッシュを決めることができたのである。
8月のそのレースで走るステラリードを応援するために当初は函館まで見に行くことも検討したのであるが、さすがにそれは断念してテレビの前で応援することにした。競馬のテレビ中継を見て心から興奮したのはディープインパクトが走った凱旋門賞以来であっただろうか。普段、「私の馬」たちは民放各局が放送する競馬中継番組には出てこない。民放のテレビ中継の放送時間は午後3時頃から4時頃の間であるが、その時間は活躍している馬が走る時間であり、そのような馬は「私の馬」のうち数えるだけしかいないからである。特に私の場合は、POG参戦一年目に指名した馬たちがほとんど活躍しなかったので、テレビ中継で「私の馬」を見たことは一年半(私が参加しているPOGの一期間は一年半である)で数回を数えるのみであった。したがって、テレビで「私の馬」を見るだけでテンションは上がるものであり、特に函館2歳ステークスでステラリードは一番人気を背負っていた。「私の馬」がテレビで中継される大きなレースで一番人気になることなど、それまで経験したことがなかった。
その結果として、ディープインパクト以来の高揚感をおぼえることとなり、ゴール前での大接戦では興奮しすぎてしまった。ゴール直前で他の馬に交わされたようにも見えたので意気消沈していたのであるが、掲示板の一番上に「私の馬」の馬番が表示されたときの感動は今でも忘れられない。それだけ忘れられない存在である彼女が今度はG1に挑戦するのである。これは見なければならないだろう。
出走することが確定していたもう一頭の名前はアパパネという。11月に行なわれたレースでレコード勝ちをしており、VTRで見るかぎり(大きいレースではなかったのでテレビで中継されていなかったのである)では強そうに見えた。もちろん、勝つことを期待してはいるのであるが、牡馬を相手にして大きいレースで敢然と勝ったステラリードよりも強いとは思えない。
12月10日、大阪に移動する前日である。アパパネへの競馬評論家の評価が存外に高い。コンビニで立ち読みした競馬雑誌「ギャロップ」では2番人気に推されている。これは嬉しい誤算であるのだが、他方で、複数のスポーツ紙の報道によれば、アパパネは食欲不振で調子がいまひとつ上がらないとの報道もある。なんとも悩ましい状況である。
一方、ステラリードの評価は著しく低い。ギャロップでは△印(競馬新聞・雑誌における印の意味合いは◎⇒○⇒▲⇒△の順番で評価が高い)が二つ付いているのみである。私の事前の予想ではアパパネよりもステラリードの方が高い評価であろうと思っていたので、案外である。阪神JFの前哨戦とも言える11月のあるレースでたしかにステラリードは負けた。しかし力負けには思えなかったし、それほど悪い内容であったようには思えないため、私の中でステラリードの強さに対する確信は揺らいでいない。とはいえ、POGをやるようになってから競馬評論家の競走馬を見る目の凄さをまざまざと見せ付けられることが多いので、不安は募る。
期待と不安が交錯し、しかしややもすると不安な気持ちが大きくなる中、翌日、大阪へと移動。
12月13日、阪神JFのレース当日。梅田を経由して、仁川へと向かう。一人で競馬場に行くことは久しく経験していない。十数年ぶりであろうか。新鮮な気持ちを抱きつつ、阪神競馬場には初めて訪れるため、漠然とした不安な気持ちもある。
しかし期待の方が大きいようだ。ステラリードとアパパネに続いて、抽選を潜り抜けてタガノガルーダが阪神JFへの出走を決めたため、まさかの「三頭出し」である。「私の馬」が出走する初めてのG1レースにしては、いささか威勢が良すぎる。繰り返しになるが、POG一年目に指名した「私の馬」たちはG1出走には一頭も縁がなかったのだから。
競馬場に辿り着いて阪神JFの単勝オッズを見ると、一桁倍率の馬が5頭もいる混戦模様である。2歳のレースのオッズのばらつきはこのようなものなのかもしれないが。その中でもアパパネは人気を集めており、2番人気である。どの「私の馬」にもがんばってほしいが、三頭出しともなると気持ちが図々しくなる。来年以降のレースへの出走を見据えると、ステラリードには3着に甘んじてもらって、アパパネとタガノガルーダで1・2着を独占してほしい、とまで大それた夢を見てしまうのである。
阪神競馬場は思いのほかきれいだ。大変失礼な先入見であるが、訪れる前までは「阪神」という言葉のイメージから、野次が多く雑然とした競馬場を思い描いていたのである。東京競馬場や中山競馬場よりもむしろ整然としていて好印象を持った。
レースが始まる時間まで余裕を持って訪れたのは一長一短であった。レースを見逃す恐れがないという意味では落ち着いて構えていられるのであるが、時間があるためにレースのことを考えすぎてしまい、心が落ち着かず、なんだかふわふわとした気分である。ディープインパクトを応援するために競馬場を訪れたときもそうであったが、他のレースの馬券を検討して気を紛らわすということもできないのである。かといって、阪神JFのレース展開を具体的に検討するというわけでもない。ひたすら、「私の馬」たちが勝ってくれるかどうか、またパドックで彼女たちの姿を見逃さないようにパドックが込み始めるタイミングを見計らうことに意識が向かってしまう。その結果、いたずらに場内を散策し、パドック場の下見と本馬場の下見とを何度となく繰り返すこととなる。
午後3時。パドック場に「私の馬」たちが現れる。テレビ局の人たちや競馬関係者で溢れた華やかなパドック場を「私の馬」たちが闊歩する姿を見られるなんて夢ではなかろうか。自分の興味がないレースにおけるパドックの周回時間はいたずらに長く感じるものだが、興味があるレースにおいてはとても短い。もっと見ていたいのに、あっという間にパドック場を出て出走馬は馬場へと向かう。私もそれに合わせて馬場が見えるところへといそいそと移動を開始する。
スタート直前、思わず目を覆いたくなることが現実となる。アパパネがゲート入りを嫌い、なかなかゲートに入らないのである。人間、ここまで最悪の状況というのはどうやら予想できないらしい。「私の馬」がこのようなことになってしまうなんて、全くもって想像できなかった。アパパネはもうダメだろう。暴れてしまって最悪の場合には出走すらかなわないかもしれないし、出走できたとしてもテンションが上がりすぎて暴走してしまうかもしれない。せっかく二番人気にまでなっているのに勝てないのか。アパパネへの期待の分を、ステラリードとタガノガルーダに期待を掛けよう。
その約1分半後。
ゴール手前の坂道を先頭で登りきり、ゴール板の前を真っ先に横切ったのはそのアパパネであった。腕が震えた。私の携帯電話にはアパパネが「私の馬」であることを知悉する知人・友人からメールが何通も届くのであるが、携帯電話を動かす手が心もとない。
レースが確定するのを待つことなく、競馬場の出口へと向かい、帰路に着いた。目の前の幸運をにわかに信じられず、晴れやかな舞台から逃亡するかのような不思議な感覚である。駅のホームに着き、電車に乗る。当たり前のルーティンをこなすことで、冷静さを取り戻す。冷静になるとともに、嬉しさがこみ上げる。「私の馬」がG1を獲ったのだ。と同時に、あろうことかレース直前に勝手に勝利を諦めたアパパネに対して心の中で何度も謝りながら、車窓からの大阪の景色を見るともなく眺めた。