本書は、日本における解雇に関する裁判例や学説の変遷について先行研究を丹念に行った上で、解雇法理を積極的に擁護することを主張する研究書である。
まず著者は、アメリカ企業における hire and fire の原則に批判を加えている。この原則はアメリカ以外の国における労働法だけではなく、私法の体系から鑑みて相容れない考え方であるとする。私法秩序の原則に照らせば、契約関係の存続を維持することが通常であり、そうした私法の論理からすると、たしかに解雇の自由が原則となり得ることはないだろう。
使用者に解雇権を与えない考え方は、日本において解雇規制を正当化してきた流れと整合的であると言えるだろう。従来、解雇規制に関する学説は、解雇に正当事由を要求する正当事由説、使用者の解雇権を承認しつつ権利の濫用を禁止するという民事法の一般ルールによって修正を加える権利濫用説、解雇を原則的に自由とする解雇自由説の三つがあった。判例が積み重なり、またその判例が2003年の労基法改正で明文化され、2007年の労契法で規定されたことで、権利濫用説が採られたと解釈される。
権利濫用説は労働者個人を解雇する場合に適用されるものであるが、企業の業績不振に伴う解雇については解雇権濫用法理に加えて整理解雇の四要件(以下、四要件)が求められる。四要件とは、(1)人員削減の必要性があること、(2)使用者側が解雇を回避するために相当な努力をしたこと、(3)選定基準が合理的であって、被解雇者の人選が合理的であること、(4)解雇に至る過程で労働者や労働組合と十分協議を尽くしたこと、であり、これらを欠く場合は解雇権の濫用として無効とするというものである。
こうした整理解雇法理の主要な部分を為す四要件は、現在どのように適用されているのであろうか。(4)については協議を尽くしたかどうかの客観的な基準が整えられており、(1)と(2)についても整理が進んでいるが、(3)については客観的で画一的な基準がないと、著者は警鐘を鳴らす。
まず(1)については、判例を四つの観点に分けて捉えることができるという。①経営が赤字であるかどうか、売り上げ・営業成績が上昇しているかどうか、販売費・一般管理費等を削減しているか、という「経営状況確定のルール」、②新規採用を行っていてはならないという「新規採用禁止のルール」、③希望退職者・退職勧奨者など任意退職した者が今後予想される場合、退職者をまず確定しなければならないという「任意退職者確定先決のルール」、④役員の報酬や賞与をある程度減額するなどの方策を検索すべきであるという「経営者の負担軽減先決のルール」の四点から、人員削減の必要性が判断される。
次に(2)については、配転・出向、希望退職が行われないままの当該労働者の解雇は、解雇権行使の濫用となり無効であると判断される。
問題の(3)であるが、著者が平成不況時の101件の整理解雇事案を調査したところ、10人未満の少数の被解雇者しかいないケースが91件にも及ぶという。この事実から、著者は指名整理解雇が昨今の日本企業の解雇の実態ではないかと指摘する。その上で、そうした指名整理解雇が果たして企業の再生を可能としたのか、これまでの判例や学説の積み重ねから十分な保護が与えられたのかについて疑義を呈する。実際、執拗な退職勧奨や職場内いじめについては不法行為法理などでの救済がなされるが、解雇や希望退職において、中高年、疾病者、障碍者、勤務態度不良者等が選別された場合の労働契約関係の存続保護法理は現在のところ十分ではない。この(3)について、今後、判例と学説の整理が喫緊事であることは論を俟たないであろう。
法的正義を用いて不当な解雇から労働者を守るという著者の姿勢には首肯する部分が多い。しかし、組織行動論を研究し、十年弱企業で働き続けている身としては、違和を感ずる部分もまたあったのが率直なところである。とりわけ、職業訓練や職場内トレーニングによって他の職務への配転を行うことを著者は主張するが、これは現実的ではない。むろん、配転を行うことで労働者の潜在的なパフォーマンスを開花させる努力を企業が行うことは必要であろう。しかし、企業が労働者を保護するという文脈で職業訓練と配転を繰り返すことは、財務面が潤沢な一部の大企業であればできるが、それ以外の圧倒的多数の企業にとっては現実的でない。いつまでも教育コストがかかる人材を抱える職場では、部門としての生産性が上がらないばかりか、業務が集中するその他の労働者の心身面に悪影響を及ぼすからである。
労働法は働く個人の外形的な保護に重きを置きがちであるが、働く個人の内面、職場のダイナミクス、企業行動といった他の要素にも配慮する必要があると言えるだろう。具体的に言えば、組織行動論や労働経済学といった職場を科学する学問を横断的に捉える姿勢が、多様な働き方が表れつつある現在においては必要とされるのではないだろうか。
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