2012年4月15日日曜日

【第79回】『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』(小熊英二、毎日新聞社、2011年)


 2009年の自民党から民主党への政権交代は、その後の民主党政権のパフォーマンスはさて置き、日本の政治史上における一つの転換点であったことは間違いないだろう。それは国政レベルでの実質的に初めてのマニフェスト選挙であり、その内容は、財政規律の強化、子ども手当の実現、公共工事の削減、消費税の5%据え置き、等であった。ここで重要なのは、なにが取り挙げられたのかではなく、なにが取り挙げられなかったか、である。

 2009年だけではなく近年の国政選挙で主要な争点として取り挙げられなくなったものは、平和および憲法九条の問題である、と著者は指摘する。平和の問題とは戦争の記憶を前提として生じるものであり、戦争を直接的に体験した世代の占める割合が著しく低下したことが第一の理由であると述べている。

 第二の理由として、冷戦構造の終結が挙げられる。冷戦時における国際間の戦争は米国とソ連との代理戦争であり、日本が平和憲法をもとに参戦しないことに道理的な問題は存在しなかった。しかし冷戦後には、人権を蹂躙する政府に対する抗議行動としての地域紛争に対して国家間でのコンセンサスを以て対応するケースが急増した。そうした状況において、平和を実現するための戦争に、平和的な憲法を理由に軍隊を派遣しないという道理は通じにくくなっているのである。莫大な戦費負担にも関わらず諸外国から批判を受けた湾岸戦争でのトラウマも相俟って、特に大きな議論もなく自衛隊の海外派遣は黙認されるようになりつつある。

 こうした冷戦構造の終結は思想界にどのような影響を与えたのか。著者はそれを1970年パラダイムの終結と表現している。1970年パラダイムとは、高度経済成長によって日本のマジョリティーはパイの分配にあずかるため革命を起こそうとしなくなったこと、沖縄や在日コリアンやアイヌ、被差別部落などのマイノリティーの存在、さらにアジアに対する戦争責任が注目されたこと、等から成る。すなわち、立ち上がらないマジョリティーへのいら立ちと、そのマジョリティーを撃つ足場としてのマイノリティーとアジアへの注目とに集約されるだろう。

 思想の変化は社会の実態の変化より十数年遅れて生じるという著者の見解に照らして考えれば、1970年パラダイムの萌芽は55年体制と形容される自民党支配の体制および高度経済成長の結果として生まれたものと言えるだろう。現代に目を転じれば、バブル崩壊から十数年後に当たる2006年の流行語大賞「格差社会」という言葉に集約された。思想界と現実との時間軸におけるズレを自覚的に把握することで、私たちが気づける範囲は広がるのではないだろうか。

 こうした状況下において、著者は現在の思想状況に対して、拡散する社会の中で全体を把握しようとする意識の希薄化が感じられることに警鐘を鳴らす。具体的には「たとえ困難であろうとも、政治・経済・思想・文化などの知見を総合し、歴史的なパースペクティブを持って現在の私たちの位置を見定める努力が必要」と述べている点は納得的だ。ただし、著者と私とは1999年~2003年および2007年~2009年の間、SFCの教員と学生という関係性を有していたため、自学を礼賛するかのように思える点は割り引いて受け止めていただければ幸いである。

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