中原先生の編著による『企業内人材育成入門』が2006年の出版であることを考えると、正統的周辺参加という考え方に興味を抱いてからしばらく過ぎたことになる。レイヴとウェンガーの考え方に強く惹かれながらも、修士時代にざっくりと目を通したことを除けば、じっくりと読むのは今回が初めてとなった。
教育とはなにか、学習とはなにか。こうした根源的な問いに対して、現代でも支配的な近代的アプローチに対するアンチテーゼをここまで見事に展開している書物というのはなかなかないのではないだろうか。こどもの教育・学習といった領域はスコープ外であるという前提を著者たちは強調しているが、少なくともおとなの教育・学習を検討する上で示唆に富んだ良書である。
そもそも著者たちが主張する正統的周辺参加なる概念はなにを含意しているのか。字義通り解釈するためには正当性と周辺性という二つに分けて考える必要があるだろう。
まず正統性について。ここでの正統性とはある組織やコミュニティへの参加の正統性を指す。ある組織に所属するということは、その組織に求められるコンテンツやコンテクストを学習することを伴う。したがって、参加の正統性のあり方が学習のあり方を規定することは理解し易いだろう。
次に、周辺性についてであるが、これは中心性と対を為す概念である。したがって、組織に参加する場面においては、唯一のものではなく、複数の多様な関わり合いが存在することを示唆している。したがって、正統的周辺参加とは、静態的ではなく動態的に組織に参加することを意味する。それに伴って、参加者が永続的な学習を行い、その結果としてアイデンティティ変容が折りに触れて行われる学習観であると言えるだろう。
このような学習観から考えれば、全員が同じアプローチで学ぶという従来の学習スタイルではなく、一人ひとりが異なるアプローチで学ぶという学習スタイルが求められる。むろん、全員が同じアプローチで学ぶという従来の学習スタイルが望ましくないということを著者たちが提示していると解釈するのは誤読であろう。組織として守るべきルールや、社会的道義上守るべき最低限の基準といったものは、各成員が墨守することが求められるため、従来の学習スタイルで学ぶことの効率性や効果は高い。
しかし、組織内外の環境変化が激しく、仕事のありようの変化が激しい環境においては、正統的周辺参加による学習の効果が高い。そうした場合においては、従来の学習スタイルではなく、一人ひとりに応じたいわばオーダーメイド型の学習スタイルが求められる。環境も自分自身も変化し得るわけであるから、その最適解は変化し続けることになる。すなわち、変化に対応し続ける限り、学習の主体は自分自身になる。その結果、一人ひとりが自分独自の学習カリキュラムを編成し、周囲からの学習支援を自ら引き出していくことが必要になるだろう。さらに、ある時点での最適解が永続するわけではないために、カリキュラムは随時更新することになるだろう。
常に学習しなければならない、常に学習カリキュラムをチェックして自分で創らなければならない、と悲観的に考える必要はない。悲観的に捉えてしまうのは、学習とは他者が与えるものであり、唯一の正解に向けて努力する必要がある、という従来の学習スタイルのパラダイムが為す考え方にすぎない。学習とは社会的実践の文脈に根ざした作用であり、「今からは学習の時間」といったように社会的作用から外れた文脈で捉えるべきではない。むしろ、何かをする時には学習が必然的に伴う、というのが正統的周辺参加の学習観に近いと言えるだろう。したがって、実践と学習とを渾然一体として捉え、実践によって学習を引き出しながら、学習によって実践への応用を利かせようとする、という柔軟な態度が重要であろう。なにより、このように学習を考えることは、私たちの思考や行動を外界に対してオープンにし、清々しい気持ちになるように思える。