2019年3月17日日曜日

【第939回】『憲法問答』(橋下徹・木村草太、徳間書店、2018年)


 この二人の組み合わせは意外であり、また対談が噛み合っていることがもっと意外であった。両者の議論がしっかりと噛み合った理由を、木村氏は「まえがき」でこのように述べている。

 橋下さんの主張をよくよく調べたり、聞いてみたりすると、なんの考えもなしに暴走する権力者ではないことがわかります。むしろ、橋下さんは、憲法の要求や、法律の手続きを理解しようと努力し、何かを主張するときには、法的な根拠づけを強く意識しています。私と橋下さんの間には、法や論理という共通の基盤があり、たとえ意見は違っても、そうした基盤のうえに、コミュニケーションが成立するのです。(1頁)

 何かを主張し、それが反証可能であることが科学の前提条件である。ここでは法学という社会科学の一つを相互理解の基盤として二人がコミュニケーションを丁寧にしている理由があるようだ。保守対リベラルというレッテル貼りおよびステレオタイプな対立構造によってコミュニケーションが断絶するのではなく、こうした建設的な取り組みは心地よい。

橋下 僕も憲法を勉強するまで知らなかったのですが、「間接適用説」という考え方は目からうろこでした。きっと憲法に国民向けに特定の価値観を強要するような条文を書こうとしている政治家は、間接適用説という考え方を知らないんじゃないかと思うんですよね。
木村 間接適用説について少し解説します。(中略)間接適用説は、あくまでも憲法による義務を負うのは国家であって、個人の間に憲法が適用されるように見えるのは、あくまでも国家機関が憲法上の義務を果たした結果にすぎないと考えます。(48~49頁)

 憲法とは何か。国家に義務を与える存在が憲法であり、個人に義務を与えるものではない。国民の義務はその例外的な存在ではあるが、原則は上述の通りである。では国民が望ましい言動をとってくれるように憲法は何も為せないのかというと、そのための考え方として間接適用説がある。

 こうした法的思考に基づくルールや当てはめに関する考え方は、人事制度の策定や改訂、および運用解釈をどのように行うかといったことを想起させる。企業における人事管理と近しいものがあり、興味深く読めた。

木村 憲法や法律には「法の一般性」というルールがあります。法律は一般的でなくてはいけません。一般的というのは、固有名詞を入れてはいけないということです。だから「朝鮮学校に補助金を出してはいけない」とするルールや法律は憲法の趣旨に反します。「財務諸表を公開しない学校」というように、固有名詞の出てこない形で法律を作らなければならない。これが「法の一般性」です。(68~69頁)

 この箇所も人事管理で活きる思考様式であり、よくわかる。人事も公平性・公正性を担保することが求められ、特定の人物を狙い撃ちにした施策はご法度だ。

橋下 僕は、政治家になるまでは権力者の権力の行使範囲を縮小させるのが「縛る」ことであり、それが立憲だと考えていました。でも、そもそも立憲とは権力者が権力を行使するときに、その主観ではなく憲法を根拠にするということですよね。権力を縮小することが「縛る」ことではなく、権力者に憲法を意識させることが「縛る」ことだと思うのです。つまり巷では「〇〇してはいけない」と権力を縮小するのが立憲だと思われていますが、逆に憲法を根拠として「〇〇する」というのも当然立憲だと思うのです。権力は適切に行使しなければ国民のためになりませんからね。(56~57頁)

 立憲について考えさせられる箇所である。現代日本のリベラル思潮では権力を縮小することを立憲として捉えられがちであるが、こうした建設的な考え方にも傾聴したいものである。
 
【第310回】『憲法の創造力』(木村草太、NHK出版、2013年)
【第338回】『日本人のための憲法原論』(小室直樹、集英社、2006年)

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