著者はACミランの監督を長年にわたって務め、現在はチェルシーの監督を務めるサッカー界の名将の一人である。リーガのサッカーを愛する私にとって「敵将」と言えるほど縁の遠い著者の本を読んだのは、知人のK氏から強く勧められたからである。本来読む巡り会わせになかったと思われる良書を読むきっかけをくれたK氏に感謝したい。
サッカーの戦術に関する本は好んで読んできたが、本書はとりわけ素晴らしかった。もちろん戦術の解説が論理的で面白かったということもあるが、インスピレーションが色々と沸いたのである。サッカーに詳しい方にとっては当たり前であることばかりなのかもしれないが、私が自身の関心に引きつけて特に興味深く読んだ箇所は主に以下の三点である。
一点目はボールポゼッションに関するものである。著者はボールポゼッションのメリットとデメリットを挙げた上でデメリットの大きさを指摘している。具体的にはこうだ。ボールポゼッションを高めるためにはオフ・ザ・ボールの動き(ボールがない箇所での選手のアクション)が頻発する。ためにその結果としてチームのバランスが崩れる。バランスが崩れるとボールを失う時に悪い失い方(数的不利を招き易い状態)をしてしまうために失点に繋がる。したがってボールポゼッションを高めることにはリスクが伴う、と著者は説明する。
ではどうするか。著者が指摘しているのはボールを敢えて相手に渡し、自チームの陣形を整える時間帯を設けてカウンターに徹することの大切さを指摘している。現実にそうした戦術を取るチームが多いことがそのメリットを証明しているといえるだろう。
このボールを敢えて相手に渡すという発想は、まさに棋士の羽生善治さんが「相手に手を渡す」ことと類似の発想ではなかろうか。羽生さんによれば、選択肢がいくつかある中で、相手に選択を促してそれに対する反撃の対策を立てるため、とのことである。これはかつて将棋を好んで指していた私からすると驚きの発想で感銘を受けたことであった。普通は一手でも早く指したいと思うものであり、実際に、プロ棋士の対局においても後手番より先手番の方がわずかとは言え勝率が高い。アンチェロッティと羽生さんといった勝負師は、領域が違えども同じような着眼点を持つものなのかもしれない。
二点目は4-4-2(3ライン)と4-3-1-2や4-2-3-1(4ライン)との違いの指摘である。著者は、4-4-2は守備の局面においてコンパクトな陣形を保ち易いために望ましいケースが多いと指摘する。他方、サッカー評論家の杉山茂樹さんは自身の著者でサイドの重要性を指摘して、4-2-3-1のメリットを展開している。にわかにどちらが優れているかの判断は私の力量ではできかねるが、おそらくはどちらも正しいのだろう。つまり、アンチェロッティが本書で頻繁に述べているように、選手の力量や組み合わせによってシステムは決まるのである。実際、アンチェロッティは4-4-2のメリットを主張するが、4ラインに適した選手が多い場合には4ラインを採用しているのである。
4-2-2というコンパクトな組織は、企業組織に照らし合わせればフラット型組織であろう。変化の激しいビジネス環境に合わせて組織を動かすためには組織体型をコンパクトに保つ必要がある。だからフラット型組織が現在のビジネス環境の中では優れているとの主張がよくなされる。しかし、こうした組織においては自律した人材がいなければ機能しない。自律した人材とは、組織にとって重要な課題を自分で考え、他者とすり合わせた上で、主体的に行動して組織への貢献と自身の成長を同時に担える人材である、と考える。経営学者の伊丹敬之さんの言を俟つまでもなく、戦略立案のためには環境に合わせることとともに人材という社内の環境との適合が必要なのであり、自律した人材がいなければフラット型組織は機能しない。個々の人材の保有する能力が最適な組織のあり方に影響を与える点は、サッカーの組織も企業の組織も同じなのであろう。
興味深かった最後の点は、サッカーチームにおける助監督の位置づけである。理想の助監督とは、監督の指示を伝えつつ、選手の愚痴や悩みも共有するという兄貴分のような存在とのことである、と著者は述べている。これは企業で言えば人事ではないか。中間管理職は、経営サイド寄りであるし、昨今のプレイングマネジャーを考えれば、部下から「兄貴分」といわれるほど手厚く関係性を築く時間的な余裕はないだろう。そこで人事をはじめとしたスタッフ部門がそうした機能を担うことが重要であろうと考えるのである。少なくとも私は、一人の人事パースンとして、著者が述べるような助監督となれるように精進したい。
<参考文献>
羽生善治『決断力』角川書店、2005年
伊丹敬之『経営戦略の論理 第3版』日本経済新聞社、2003年
杉山茂樹『4-2-3-1』光文社、2008年
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