リストラクチャリングによる雇用の流動化はニュースになる。最近で言えば、パナソニックの本社人員の大幅削減がその典型である。しかし、雇用の流動化はいま私たちの働き方に関わる問題の一事象に過ぎないと著者は主張する。より広い視野で捉えれば、企業目線で言えば職務の流動化があり、その結果として個人目線で言えばキャリアの流動化が起きているのである。
職務の流動化とは2000年頃から人事の世界では言われている。端的に言えば、企業において求められる職務が環境変化に応じて変化し、それに付随して求められるマインドやスキルのセットが変化する、ということである。しかし、こうした職務の流動化の話はなかなか一般的な認識として日本企業の中で定着していないように思える。それはおそらく、学歴や資格といった制限された領域の中で有用な固定的な知識が重視される日本企業の風潮を表しているようだ。そこに縋りたいという過去の「成功者」たちの心境も反映しているのかもしれない。
もう一つのキャリアの流動化も大きな問題である。キャリアという概念に対しては静的なイメージを持つ人が多いようである。十数年後の自分のあるべき姿をイメージし、そこからリバース・エンジニアリングを掛けて五年後には〇〇の経験を積み、三年後までには△△の資格を取得し、そのために今は□□という仕事をやるべき、といった発想である。これは、日本企業の多くで行われる「入社して○年後の自分を考えよ」という採用面接にも影響されているのであろう。企業が将来を静的に捉えよというメッセージを発し、学生もそれを受けて将来を静的に考えようとしているという共犯関係である。
著者が主張するキャリア自律という考え方は、上述した静的なキャリア概念とは大きく異なる。具体的には「「若いうちに自分の人生やキャリアを決めろ」という仕組みではなく、試行錯誤しながら生涯にわたって自分の人生や仕事、キャリアのあり方を考え続けるプロセス」と定義している。今の企業においてどちらがより現実に即したスタンスであるかは自明であろう。
ではキャリア自律を意識してどのように行動するべきであろうか。
まず、静的なジョブ・マッチングに捉われないことが重要である。静的なジョブ・マッチングの最たる例は適職診断である。消極的な意味での例としては、今の仕事は自分に合っていない(マッチしていない)ように思えて友人の方が生き生きと働いているように思えるいわば「隣の芝生が青く見える」類いのものである。これが病的な「青い鳥症候群」として、一時期のアメリカで問題となったジョブ・ホッパーを産み出したことは記憶に新しい。
こうした静的なジョブ・マッチングではなく、動的な価値観のマッチングが重要である、というのが著者の主張である。これは、仕事自体が自分に合っているか否かというよりも、仕事の中で発揮している能力が自分らしい能力なのかどうかという点でのマッチングを重視する考え方である。このように捉えれば、職務の流動化が進んだとしても、普遍性の高い自身の保有能力をもとにして今後の自身の職務にアジャストすることができるようになり、キャリアの流動化に対応し易くなる。
動的な価値観のマッチングのために必要なものとして著者は三点を指摘している。
一つめは自身の人生とキャリアを継続的に切り拓く良い習慣や能力を身に付けること、である。学生までは、試験期間に集中的に勉強することで良い成績を得られることができ、断続的な学習経験が結果的に学歴という結果に結びつくというルールであった。学校の序列が固定的であり、そこで求められる学習能力が固定的であったために適用できたものであり、職務の流動化とキャリアの流動化が進行する社会においては通用しない。したがって、職務の中で自分なりに工夫し、それを自身の将来の職務に応用可能なレベルまで普遍化すること。また、自身のスキルセットをプロアクティヴに更新し続けることが必要なのである。
二つめは深い学びをする習慣を身につけることである。報酬を上げること、特定の資格を取得することといった学習内容とひもづかない功利的な学習は学習内容の重要性を軽視するものである、という心理学者の市川伸一氏の文献を引用して著者は指摘している。こうした学習内容を軽視する学びでは、丸暗記型の学習になり易く、職務に応用できるレベルの普遍化ができない。また、予見性の低い領域で失敗することを恐れてしまい、新しい領域を学び続けるというチャレンジにネガティヴな影響を与えるという。そうなると職務の流動化に対応できず、「過去の栄光」にしがみついていつまでも自分をアップグレードできない心的状況を招いてしまいかねない。こうした学習内容を軽視する学びではなく、学習内容の原理原則に戻り、普遍性の高い学びを積み上げることが今の時代には求められている。さらに言えば、そうした学びに高い確率で付随する失敗経験から学ぶ姿勢が合わせて必要とされるだろう。
三点めとして自分らしい幸せなキャリアに導く仕事観や働く意味を意識することが挙げられている。自身が自社や社会に対してどのような価値を提供しているかという提供価値を継続的に定義し、再定義を繰り返し、その結果として自身のキャリアを構築するというプロセスが必要であろう。自分自身の提供価値とは、なにも自分にとって重要であるということを意味しない。むしろ、自身にとって大事な内因的な仕事観と、企業や社会から求められる規範的仕事観とを統合することで見出すものである。
キャリアを学ぶことは仕事を学ぶことに他ならない。仕事とは社会と人との結節点であるのだから、それを学ぶことは社会を学ぶことであり、人を学ぶことである、社会と人とが変化し続ける以上、キャリア論もまた変化し続けるだろう。働き続ける以上、キャリア論は今後も折りに触れて学び続けたい領域である。
0 件のコメント:
コメントを投稿